「戻れる場所ない」能登地震で自宅は土台から崩れた…大阪に避難の高齢夫妻が下した決断

AI要約

元日の発生から7月1日で半年となる能登半島地震は、多くの人の人生を変えた。石川県志賀町出身の高齢夫妻が大阪府に避難し、自宅を取り壊し新たな生活を始めることを決めた。

避難生活を送る藤沢吉朗さんと妻の雅子さんの日常。彼らは最低限の物だけ持参し、避難先の府営住宅で暮らしている。自宅は半壊し、幸いにもけがはなかったが、知人がいない新しい土地での暮らしは心細い。

藤沢さんは地震前とは違い、楽しい世間話が少なくなったことを感じている。娘たちとの花見や銭湯などの楽しみもあるが、故郷の思い出は頻繁に脳裏をよぎる。

「戻れる場所ない」能登地震で自宅は土台から崩れた…大阪に避難の高齢夫妻が下した決断

元日の発生から7月1日で半年となる能登半島地震は、多くの人の人生を変えた。生まれ育った石川県志賀(しか)町を1月中旬に離れ、大阪府に避難している高齢夫妻は自宅を今後取り壊し、顔なじみが少ない避難先で生きていくことを決めた。望郷の念は断ちがたい。それでも余震のリスクを考えると「戻れる場所は、もうない」。県外避難を続ける被災者は6月11日時点で916人。それぞれが岐路に立っている。

■最低限の物だけ持参

大阪府泉佐野市の府営住宅。志賀町出身の藤沢吉朗(きちろう)さん(74)と妻の雅子さん(66)は府が被災者に提供する一室で避難生活を送る。

3DKの部屋は冷蔵庫や洗濯機など備え付けの家電製品が目立ち、故郷の日用品は多くない。藤沢さんは「持ってきたのは、洋服など必要最低限の物だけ。ほかは家に残してきた」とうつむく。

元日の地震発生時、2人は木造2階建ての自宅でくつろいでいた。神棚や家具などが次々と倒れてきたが、かろうじて外に逃げ出した。帰省し、外出中だった長女(35)と次女(33)とも合流。幸いにして全員けがはなかったが、自宅は土台が崩れ半壊した。

家族4人で近くの中学校などに身を寄せ、発生2週間後の1月15日に娘たちが暮らす同府貝塚市の集合住宅に避難。2月上旬には府の支援で、貝塚市に隣接する泉佐野市の府営住宅に入った。

■地震前に楽しんだ世間話、今は…

普通に生活できるだけでもありがたいが、避難先には親族以外に知人はいない。藤沢さんは「知らない土地で暮らすのは心細い」と打ち明ける。

避難に伴い、石川県七尾市のスーパーで続けていた総菜調理の仕事は辞めた。地震前は近隣住民たちと毎日のように世間話を楽しんだが、今は月1回程度、府営住宅の清掃時に近所の人と話すぐらい。外出の機会もめっきり減った。

娘たちと花見や銭湯などに行き、徐々に楽しみは増えてきたが、雅子さんは「ふとしたときに故郷の思い出の場所が脳裏をよぎる」と話す。

■貝細工作る夢