41年ぶりの再会「あなたがいなければ、私たちはここにいない」 沖縄水産の実習船が救った元難民、元船長と

AI要約

1983年8月、ベトナムから逃れようとした難民が南シナ海で遭難し、沖縄水産高校の実習船「翔南丸」によって救助される。元難民と船員たちが41年ぶりに再会し、感謝の想いを伝え合う。

サイゴン陥落後に投獄された元軍人が家族と共にベトナムを出国し、漂流中に救助される。救助された際、自由を得られた感動と再会時の感謝の気持ちが語られる。

救助された元難民一家は米国に移住し、子供たちが様々な職業で活躍する中で、救助された日の思い出を大切にしている。

41年ぶりの再会「あなたがいなければ、私たちはここにいない」 沖縄水産の実習船が救った元難民、元船長と

 1983年8月、ベトナムを出国し南シナ海で遭難した1隻の小型木造船を、沖縄水産高校の実習船「翔南丸」が救助した。全長約13メートル、幅4メートル足らずの小さな船に、乳児から50代までの105人がひしめき合っていた。ベトナム戦争後、国外に逃れようとした「ボートピープル」だ。当時救出された元ベトナム難民のグエン・ソン・マイさん(84)一家が6月13日、那覇市内で翔南丸の元船長・宮城元勝さん(81)らと41年ぶりに再会した。「あの日のことを忘れたことはない。あの日がなければ、私たちはここにいない。感謝しかありません」(デジタル編集部・川野百合子)

 南ベトナムの元軍人だったグエンさんは1975年のサイゴン陥落後、北ベトナム側に拘束され、約7年間投獄された。自由を求めて1983年8月4日、妻のティ・ヴォンさんや、9カ月から16歳の子ども6人と共に乗船しベトナムを出国した。

 3日でエンジンが壊れ、漂流した。食料や燃料も乏しかった。「何隻もの船が通ったが、誰も助けてくれなかった」(グエンさん)。

 8月8日の早朝。翔南丸の1等航海士だった仲村正さん(78)は、生徒から難民船の報告を受けた。機関長の宮城通功さん(84)は「あの頃、あの辺の海には海賊がよく出ていた」と振り返る。警戒しつつも、仲村さんはすぐに船長の宮城さんを起こした。宮城さんは「たいまつを燃やしている船を発見して、よく見てみると、人がぎゅうぎゅうに乗っていた。ボートピープルだと気づいた」と話す。

 救助された時の心境を、グエンさんは「その時初めて、求めていた自由を得られたと感じた。とてもうれしかった」と語る。

 今でも覚えている光景がある。マニラで別れた時、船長の宮城さんが涙を流して別れを惜しんでくれたことだ。翔南丸で一緒に過ごしたのは4日だったが、今でも忘れられない思い出だ。当時14歳で救助された次女トゥオン・ヴィさん(55)は「父は毎年8月4日には家族に翔南丸の話をする」と笑う。

 一家はマニラから米国カリフォルニアに渡った。難民として米政府の援助などもあったが、グエンさんは早朝の新聞配達などで家計を支えた。現地で生まれた末娘を含め、7人の子どもたちは弁護士や薬剤師、生物学者、エンターテイナーとして活躍している。