人権を侵害された時 声は届くか
人権侵害を受けた人が声を上げ、社会が動くことがある。声を上げることが難しい現実や国家の介入、個人通報制度などについて、明治大学教授の江島晶子さんが語る。
声を上げることの難しさや国家の介入、個人通報制度などについて、江島氏の見解が述べられている。
個人の声が国際的な機関につながることで、声が広がり、人権がより守られることが強調されている。
人権侵害を受けた人が声を上げ、社会が動くことがあります。明治大学教授の江島晶子さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
◇ ◇ ◇ ◇
――被害を受けた人が声を上げないと変わらないのは、しかたがないことでしょうか。
江島氏 おかしいと思った人が声を上げなければ始まらないのは、その通りです。
そもそも、人権は、誰かがおかしいと声を上げ、みんなが共感したり、同意したりしていくなかで固まり、憲法にも書き込まれました。
しかし、今は当事者にまかせておけばよい時代ではありません。
――声を上げることが難しい現実もあります。
◆自分の問題が人権の問題だと気がつくことは簡単なことではありません。自分は少数派だから、共感を得られないのではないか、とためらったり、公然と口には出しにくいと思い、声が上げられなかったりします。その間に問題は深刻化します。だから声を上げやすくする仕組みが必要です。
◇「国家からの自由」だけでは不十分
――積極的に手を差し伸べるということでしょうか。
◆人権は、国家の介入をはねのける「国家からの自由」から始まりました。しかし今は、仕事を失った人、家を失った人、病気に苦しむ人に国家が対応するべき時代です。
起きることが分かっているのに国家がなにもしないのは人権侵害です。
たとえば、児童虐待は、起きてから対応したのでは遅すぎます。声を上げにくい子どもに気がつくことができる仕組みを作っておかなければなりません。
――国家が私生活に介入してくることには、警戒感もあります。
◆家庭内暴力を当事者間で解決できるでしょうか。児童虐待、SNS(ネット交流サービス)上の誹謗(ひぼう)中傷、ヘイトスピーチなど、私人による人権侵害が現実に起きています。個人の力でどうにかできるでしょうか。
国家は自分とは無縁の存在と思いがちですが、国民主権のもとでは、国民こそが国家を監視しており、国家をうまく使うことで、よりよい社会にすることができます。
――仕組みが必要です。
◆人権が意味をもつためには、声をすくいとる仕組みが必要です。たとえば、世界では当たり前になっている人権委員会や人権オンブズマンなどの国内人権機関があります。
政府から独立した人権の専門機関として、人々の声を聞き、政府に届けることができます。ところが日本にはありません。国際的な条約機関や人権理事会からは、設置を繰り返し求められています。
◇身近な小さな場所で人々は生きている
――国際人権法には、個人が人権侵害を人権条約機関に通報できる仕組みがあります。
◆日本は個人通報制度について批准していません。こちらも多くの条約機関から批准を勧告されています。
個人の声が国際的な機関につながれば声が広がります。条約機関は、さまざまな国の多様な声を聞いていますから、その見解や勧告は役に立ちます。
国が条約機関の助言に耳を傾ければ、人権条約自体の力も高まります。日本にいる人々の人権を守るだけでなく、他の国の人々にも役に立ちます。
身近な小さな場所の声が、そこにとどまり続ければ変化は起きません。しかし、世界に広がり、お互いに届くことで、日本の人権も世界の人権もよくなります。
――声は届きやすくなっていますか。
◆SNSなどで個人が発信し、その声が広がるようになりました。性暴力を告発した#MeToo運動も、はじめは一部の発信でしたが、世界中を巻き込む運動になりました。
日本でも、フラワーデモ、#KuToo運動、性犯罪に対する実名での告発、刑法の改正など、影響は広がっています。(政治プレミア)