過去最大の赤字で株価も低迷…追い込まれた住友化学の「問題の本質」と求められる「次の一手」

AI要約

2024年3月期決算の発表では、日本企業の動きが注目されており、決算発表が新たな意味を持つようになっている。

投資家は企業の財務状況を評価し、株価が決定される中、住友化学の過去最大の赤字が注目を集めている。

赤字の計上は企業再生に向けた施策であり、病巣を一気に摘出する外科手術に例えられるが、その妥当性や市場の感覚との一致が問題となる。

過去最大の赤字で株価も低迷…追い込まれた住友化学の「問題の本質」と求められる「次の一手」

 2024年3月期決算の発表では、やっと動き始めた日本企業の姿が、様々な業種の様々な企業で語られていた。決算発表の場は以前のような単なる受託責任の解除としての会計報告の場というだけでなく、それぞれの企業が、投資家に対して、その会計年度やその背景にある経営計画やその遂行度合いを総括し、問題があれば、何が問題なのかを整理して伝え、そこから自分たちが誰も完璧には予測できない未来をどう予測し、動いていこうとするか、価値を創造していこうとするか、を語り掛ける場に、やっと変貌しつつある。

 そこで総括され、語られた内容について、また別の情報を持った投資家が、様々な立場で評価を降し、その企業の航海に参加し果実の分配に預かろうとする(株を買う)のか、その航海の成功を危ぶみ、例えば株を借りて売り向かおうとするのか、いずれにせよその均衡の中で株価は成立する。

 絶対的な神や、デザイナーが存在しない以上、常に移ろい不確かな性格のものではあっても、そこで成立する株価こそが、資本主義的な世界の資源分配を司るシグナルであり、そこに何かの総意を読み取って、計画を見直し、そうした試行錯誤のなかで育まれていくものが、まさに価値であり価値創造の過程ではないか、と思う。

 その意味で決算発表や説明会の開催が起点となって株価が動いた事例は今回も多く見られたが、そのなかで今回採り上げたいのは、5月15日、3,118億円という過去にない巨額の純利益ベースの赤字を発表した住友化学(言わずもがな、三菱ケミカルと双璧を成す我が国化学業界の巨人)になる。

 純利益ベースで約3,118億円の赤字というのは、そのインパクトの大きさもあって、住友化学は4月30日に既にその時点で3,120億円の赤字とする決算修正を発表し、かつ、同日に経営戦略説明会を開催している。経営戦略説明会では、その数字に対する彼らの総括や、その巨額赤字こそが、一気に膿を出す、という経営判断であって(日立や、日立に比べればまだ途上にはあるが日本製鉄など、我が国の巨大企業の再生事例同様)再生のための施策であることを説明している。

 病巣を一気に摘出する外科手術にも似て、ある会計年度に巨額の赤字を計上することは、企業再生を病気の治癒として考えた場合、悪い手ではない。また、少なくともそれは、彼らが、彼ら自身が既に病人であって治療を必要とするのだ、と自覚している証左にはなる。と言うのは、多くの場合<病巣を病巣として自覚する>ことすら前任者の否定に繋がるなどの理由もあって、歴史と伝統を有する巨大企業がよくすることでは(これまでは)なかったからだ。

 その意味で、赤字を出すこと自体は、正解になる。ただ問題は、その赤字が病巣の一気の摘出になっているのか、病理判断そのものが妥当なのか、という点にかかってくる。また、病人の比喩からは離れるが、あくまで価値の創造を一定の時間軸で求める市場の目線や感覚と、打ち出された施策や時間軸がその目線に叶っているのか、も問題になる。