首相キモ入りの“魔改造”!? 残念だった「世界初のジェット旅客機」が「世界初のジェット対潜哨戒機」に変わるまで

AI要約

デ・ハビランドDH.106「コメット」として就航した世界初のジェット旅客機が、改造されて世界初のジェット対潜哨戒機「ニムロッド」となった経緯。

「コメット」の胴体を使用し、大規模な改造を施された「ニムロッド」の特徴や性能向上の背景。

「ニムロッド」が運用される中で経験した実戦や運命を左右する事故の発生。

首相キモ入りの“魔改造”!? 残念だった「世界初のジェット旅客機」が「世界初のジェット対潜哨戒機」に変わるまで

「世界初のジェット旅客機」として1951年に就航したものの、空中分解による墜落事故を相次いで発生させてしまったデ・ハビランドDH.106「コメット」。イギリスが威信をかけて開発したこの旅客機は、原因と推定される箇所の設計変更を行ったものの、競合機の登場でヒット機にならず生産終了となりました。しかし、この機は別の形で生かされることになります。

 それが、世界初のジェット対潜哨戒機「ニムロッド」です。とはいえ、2機を比較するとあまりに違う外観をしています。どのような“魔改造”を受けたのでしょうか。

 イギリス空軍では、「コメット」の機体の大きさと形状に着目しました。というのも、同軍では老朽化していた対潜哨戒機「シャクルトン」の主翼構造に亀裂が発見され、後継機を早急に導入する必要があったのです。

 当時、同軍には、新型対潜哨戒機として生産中だったロッキードP-3「オライオン」、ブレゲ―・アトランティックなどの売り込みもありました。そのようななか1965年、ウィルソン首相は旅客機「コメット」の改造型を次期対潜哨戒機として採用することを発表します。こうして「コメット」は「ニムロッド」へ生まれ変わることになりました。

「ニムロッド」1号機は生産途中で組み立て作業が中止されていた「コメット4」の胴体を使用して作られることになりましたが、その設計は原型から大きく変わることになります。

 たとえば胴体下面には爆弾や魚雷を搭載するスペースを確保するため、機体の全長にわたって改設計され、胴体下面には兵装を収容するウェポンベイと爆撃機のような大きな観音開きの扉が設けられ、エンジンは低燃費のファンエンジンであるロールス・ロイス「スぺイ」に換装されました。空気の流量が多いファンエンジンに対応するため、空気取り入れ口も拡大されています。「コメット」の面影は、エンジンを埋め込むスタイルが採用されたユニークな主翼レイアウトが残っている程度となりました。

 また、哨戒飛行中は長時間にわたって低高度を低速で飛行する能力が求められます。ニムロッドはエンジンが機軸に近いため、必要に応じて4基あるエンジンの一部を停止して滞空時間を稼ぐ方法が採られました。このような改修を経て、「ニムロッド」1号機は1967年に初飛行し、続いて49機の量産機が生産されました。

 1969年に就役した「ニムロッド」が最初に経験した実戦が1982年4月に勃発したフォークランド戦争でした。イギリス政府は急遽「ニムロッド」に空中給油を受けるための受油装置と自衛のためにサイドワインダー空対空ミサイル携行能力を付加する発注を行いました。

 元々「ニムロッド」は空中給油を想定していませんでしたが、受油プローブを装着した「ニムロッド」は空中給油試験ののち、すぐに実戦投入されました。「ニムロッド」は大西洋のほぼまんなかに位置するアセンション島に展開し、英国本土からの作戦部隊を援護しました。

 冷戦終結後も湾岸戦争やアフガニスタン戦争に派遣されましたが、そこで「ニムロッド」の運命を暗転させる事故が起きます。