戦艦は金かかる…「なら駆逐艦に巨砲載せれば!」政治に翻弄された“異形の軍艦” 新技術使ったのに大失敗なぜ!?

AI要約

小さな艦艇に巨大な砲を搭載する試みとして、ソビエト連邦が排水量わずか1260トンの駆逐艦「エンゲルス」を開発した。

砲艦の基本理念である無反動砲を利用した305mmの巨砲は、艦上での発射テストで成功を収めたが、バランスや構造上の問題が露呈した。

設計者のクルチェフスキーは問題の解決策を考えており、艦艇に5門の305mm無反動砲を搭載する計画もあった。

戦艦は金かかる…「なら駆逐艦に巨砲載せれば!」政治に翻弄された“異形の軍艦” 新技術使ったのに大失敗なぜ!?

 ミサイルなどない時代、大きな船体に大きな砲を乗せれば、それだけ敵艦に対して攻撃力が高い艦が生まれます。しかし、巨大な艦船を建造するには莫大コストと相応の技術が要求されます。

 では、巨大な砲を小さな艦艇に乗せることができればどうでしょう。「最小限の資金で強い艦艇が作れるのではないか?」そんな考え方から生まれたのが「砲艦」や、「モニター艦」と呼ばれるものになります。その考えを、突きつめた異様な艦がかつて存在しました。ソビエト連邦(現ロシア)が開発した、排水量わずか1260トンの船体に305mmという巨砲を搭載した駆逐艦「エンゲルス」です。

 そもそも、なぜ小さい艦艇に巨砲を乗せるのは難しいのでしょうか。それは砲を打ち出す際の反動にあります。水上という不安定な場所でそんな大砲を発射すれば、その反動で小さい船は転覆しかねません。安定した連続射撃や優れた命中精度を考慮すると、巨砲を搭載するためには一定のサイズが必要になります。

 しかし、そこに新たな光明が見えました。1930年代に実用化され始めた無反動砲です。この砲はその名の通り、発射時に発生する運動エネルギーをガスにして後方へ噴出することで反動を打ち消す兵器です。そして1930年代に、とりわけ無反動砲に強い関心を持っていた人物が、ソ連の火砲設計技師クルチェフスキーでした。

 彼は1920年代からソ連での火砲並びにヘリコプター研究の中心にいた人物で、無反動砲に関しては自ら生み出した独自の構造に「システムK」と名付けて、無反動砲の研究・開発を進めていたのです。

この研究は、陸軍だけでなく海軍も「発射時の反動がなければ、小さい艦でも巨砲が搭載できるのではないか」と大きな関心を持っていました。

 こうして小さな駆逐艦に巨砲を搭載するプロジェクトはスタートし、そのベース船として駆逐艦「エンゲルス」が選ばれます。同船は、元々、帝政ロシア時代に建造されたオルフェイ級駆逐艦の1隻「デスナ」で、全長は98m、幅9.3m、排水量1260トン。第一次世界大戦にも投入され、哨戒活動や民間船の護衛などに従事しています。

 このような小型艦艇に、ソビエト海軍は巨砲を搭載し、敵の沿岸要塞の攻撃や、あわよくば戦艦との交戦でも使えないか検討していたようです。

 艦載を念頭に生み出された無反動砲は口径305mm、砲身重量はわずか5tという軽量なもの。砲弾についても重量250kgの専用のものが用意されました。地上で行われた発射テストでは初速493m/秒を達成、最大射程も13km以上と思った以上に好成績を残します。問題の反動はと言えば、冬場の試験では、噴出されたガスで後方120mにわたり地面から雪が吹き飛んだとか。ただ、砲自体の運動は最大15mmズレただけでした。

 テストで好成績を残した無反動砲は、1934年9月には駆逐艦「エンゲルス」に搭載され、水上での発射試験へと移行します。実際に艦尾、中央部、舷側、艦首の4か所に砲が設置され、さまざまな角度と方向に対し、計11発が発射されたといいます。ただ、地上試験では問題のなかった305mm無反動砲も、船上で撃ってみるとさまざまな問題が露呈しました。

 まず巨大な砲のため、たとえ軽量化したといっても、重さとスペースの問題は残っており、搭載しただけで艦のバランスを大きく変えてしまったのだとか。

 また、横方向に発射する分には大きな問題はなかったものの、艦首から前方へ、艦尾から後方への発射を行った際には、砲尾から噴出したガス(バックブラスト)により艦上構造物や艦橋、マストの一部が変形してしまったといいます。砲が長すぎて、バックブラストを避けるために発射向きが制限されるのも問題でした。

 とはいえ、これらの問題の多くは最初から予見されていたものであり、設計者のクルチェフスキーはこれらの問題の解決策をすでに考えていたそうです。彼は、最終的には「エンゲルス」に5門の305mm無反動砲を搭載する計画を考え立てていたとも言われています。