奇想天外!? 奇天烈!? きら星のごとく現われたビックリ仰天の迷車&珍車たち

AI要約

1980年代は日本が高度経済成長期の真っ只中。すべてがイケイケで、元気いっぱいだった。

ターボ旋風が吹き荒れ、高性能車も一気に増える。1987年の「ブラックマンデー」にも影響を受けなかったバブル経済下で、自動車産業は湯水のように開発費と宣伝費をかけ、様々な新感覚プレミアムカーやパイクカーを送り出していた。

バブルが弾けた1990年代初頭に多くのニューカーが急ピッチで商品化された。その中には今も続くクロスオーバーカーや成功を収めたモデルが存在し、日本が世界一の自動車王国に上りつめる一因となった。

いすゞビークロスや三菱RVR、エスティマなど、バブル期の開発途上車両は今日のクロスオーバーカーの先駆けとも言える存在だった。オデッセイやRAV4、デミオなど、積極的な攻勢でクルマ離れに対抗し成功したモデルも登場した。

多くの駄作も生まれたが、後の価値観につながる失敗作も多かった。バブル期の車両開発は、儚く消えた名車や迷車を多数世に送り出した。

日本の自動車産業はバブル期に世界に冠たる存在となり、様々なイノベーションを生み出した。バブル崩壊後も積極的な商品化と攻勢により、日本は世界一の自動車王国に躍り出る原動力となった。

1980年代後半から1990年代にかけ、儚く消えた名車と失敗作の振り返りは、今日の自動車業界においても重要な教訓となっている。

奇想天外!? 奇天烈!? きら星のごとく現われたビックリ仰天の迷車&珍車たち

 1980年代後半~1990年代・バブル前後、潤沢な資金を投じて開発され、そして儚く消えた名車&迷車たちを振り返る。(本稿は「ベストカー」2013年6月26日号に掲載した記事の再録版となります)

文:片岡英明

 1980年代は日本が高度経済成長期の真っ只中。すべてがイケイケで、元気いっぱいだった。

 公共事業を積極的に行ない、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋やベイブリッジに加え、東京湾アクアトンネルや鳴門海峡大橋なども企画されている。建築ブームはぜいたくな美術館や公共施設も生みだした。

 この時期、日本は世界第2位の自動車生産国にのしあがり、運転免許人口も5000万人を超えた。

 ターボ旋風が吹き荒れ、高性能車も一気に増える。スペックに目がいったが、中の上といった意識の強い保守層や女性からはちょっとリッチで清楚なハイソカーが持てはやされた。

 1987年秋にニューヨークで株価が大暴落した。世にいう「ブラックマンデー」だ。が、円高を追い風にした日本のバブル経済には影響がなかった。

 販売が絶好調の自動車業界は、湯水のように開発費と宣伝費をかけ、シーマやセルシオなどの新感覚プレミアムカーや強烈な個性のパイクカーを意欲的に送り出している。

 駄作も多かったが、いま振り返ると、実のある偉大な失敗作だった。

 1990年になってバブルが弾けた。が、開発途上にあったニューカーは商品化を急ぎ、その多くは発売に移された。

 いすゞビークロスや三菱RVR、エスティマなど、いまにつながるクロスオーバーカーが出現するのはこの時期だ。

 クルマ離れを食い止めるために、メーカーは知恵を絞った。その結果、オデッセイやRAV4、デミオなどが誕生している。

 すき間に新しい価値観を持ったクルマを投入し、市場を切り拓き、成功した。積極的に攻勢をかけたから、日本は世界一の自動車王国に上りつめたのだ。