彼女の30年来の相棒フィアット「500」は40万キロ走破!「毎朝、押しがけでエンジンをかけていました」自然体で朽ちていく姿がいい味出してます
「イタリアンジョブ」でスタッフをしていた“nap姐”さんが愛車の1968年製フィアット「500L」について語る。
忠実に30年乗り続けた500は彼女にとってはシェルターやゆりかご、時には戦車となる存在だった。
愛車500にはメカニズムの知識はないが、30年間でわずか3度しかトラブルがなく、信頼性の高さを証明した。
イタリア車が集まるイベント「イタリアンジョブ」でスタッフをしていた“nap姐”さん。愛車を紹介してもらったところ、1968年製のフィアット「500L」に乗っているということでした。500(チンクエチェント)に乗って30年という彼女にとって、チンクはシェルターであり、ゆりかご、そして時には戦車にもなると話してくれました。これまでどのように愛車と付き合ってきたのでしょうか。
岐阜県揖斐郡藤橋城で開催された「イタリアンジョブ2024」で早朝よりスタッフとして来場者の受付を担当していた“nap姐”さん。彼女の愛車である1968年製フィアット「500L」との付き合い方は、こうしたイベント参加だけでなく、雨の日も風の日も日常の足として、仕事でもガンガン使って30年。その走行距離は40万kmを超えたという。
「わたし的には、何年乗ってるとか何km走ったとか考えたことないですけど、月までの距離が38万kmでしょ? ちょうど、月まで行って帰ってくるくらい距離は乗ったんやな」
とさらりと言ってのけるあたり、かなりユニークな尺度をお持ちの女性だ。インパネに貼られたオイル交換時のラベルシールで、それまでの走行距離が分かる。
「買ったのは若気の至りってやつですかね。クルマのことは何も知りませんでしたが、デザインが気に入ったというのが乗った理由ですが、小さいし、これミニ クーパーやんなと思ってました」
そして購入してからも、冬の朝イチ、エンジンの始動がイマイチだったという500を、毎朝押しがけでエンジンをかけていたという。
「旧いクルマはこんなもんやと思ってたました。バッテリーが何の役割をするかも知らないし、それが弱ってるからセルの回りが弱いとか、20歳くらいやったし、そんなん知りませんやん。あ、今でもメカのこと何も知りませんけど」
と笑いながら話してくれた。クラッチワイヤーが切れた時、押して惰性を付けて運転席に飛び乗って、2速に入れて赤信号まで走るのを繰り返して7km先にある整備工場「オートマイスター」まで辿り着いたこともあるそうだ。
それでも毎日の仕事でも使っているという500で、一度も仕事先に迷惑をかけたことはない“nap姐”さん。メカニズムの知識はなくても、何がどう作用して動くかというのはしっかりと理解しているのだろう。
レッカーサービスのお世話になったのも、鎌倉からの帰り道あと少しで大阪というタイミングでエンジンマウントが壊れた時など、30年間40万kmの期間にわずか3度しかないという。大したものである。