知っていても言えない、広告を作る仕事が「大人気で給料がいいけれど無意味である理由」

AI要約

「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜ給料がいいのか?労働観の変化と世界的現象を明らかにするロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』について

グレーバーが提示する「脅し屋」とは、需要を捏造し、消費者を欺く広告産業に従事している人々のこと。彼らは自らの仕事をブルシットと位置づけており、社会的価値の偽善を認識している。

広告業界の一員であるトムの証言は、消費文化の矛盾と社会的洗脳の実態を露呈している。彼は自らの仕事が人々をあざむいていることを認識し、その真の意味に疑問を持っている。

知っていても言えない、広告を作る仕事が「大人気で給料がいいけれど無意味である理由」

「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?

「取り巻き」のつぎは、「脅し屋」です。goons。goonの複数形です。先ほどとおなじ辞書によれば、goonとは、「a criminal who is paid to frighten or injure people」、すなわち、「雇われて人々を脅したり危害をくわえたりする犯罪者」で、ふつう、やくざ、ならず者、ごろつきなどといった日本語があてられています。さらに、労働争議などで雇われて脅しつける人間という含意もあります。

これはいささかぎょっとする人もいるかもしれません。なにしろ、脅したり危害をくわえたりする犯罪者ですから。そんなことしてる人間、探してもなかなかいそうにありません。

もちろん、これは比喩です。グレーバーの最初の定義は、「その仕事が脅迫的な要素をもっている人間たち、だが決定的であるのは、その存在を他者の雇用に全面的に依存している人間たち」です。要するに、人をなにか脅したてるような要素をもった雇われ人ということですね。

さらにかれは、「脅し屋がみずからの仕事を不愉快におもっているのは、その仕事がただポジティヴな価値を欠いているだけでなく、他人を操ろうとしたり脅しをかけるものだとみなしている」ともいっています。

例としてあがるのは、まずこれは想起した方もいるとおもいますが、軍隊の人員です。あるいは、ロビイスト、企業弁護士、広報専門家などです。

ここで検討される、ロンドンのアメリカ人所有になる大規模映像制作会社で働くトムの事例は、もっとも印象的な証言のひとつで、重要な意味をもってもいます。

わたしはロンドンに設置されたアメリカ人所有の巨大な映像制作会社で仕事しています。わたしの仕事には、とても楽しく、やりがいにあふれたところもあります。たとえば、映画スタジオのために自動車を宙に飛ばし、ビルを爆破し、エイリアンの宇宙船を恐竜に攻撃させたりして、世界中の観客にエンターテインメントを提供するのです。

ですが最近は、顧客のなかに広告代理店の割合が増えています。それらの企業は、シャンプーやら、歯磨き粉やら、保湿クリーム、洗剤なんかの、有名ブランド製品の広告をもってきます。そして、われわれは視覚効果のトリックを使って、それらの製品が実際に効き目があるようにみせかけます。

われわれはまた、TVショーやミュージック・ビデオの仕事もします。女性の目元のたるみを消し、髪に艶をもたせ、歯を漂白し、ポップスターと映画スターをスリムにみせたり……などなど。肌にエアブラシをかけてシミを消し、歯並びを整え、色調を変えて歯を白くみせます(洗剤の広告でも衣服におなじことを施します)。シャンプーのコマーシャルでは、枝毛を塗りつぶし、髪の艶を強調しますし、人間をスリムにみせるデフォルメ用の特殊なツールがあります。この手の技術は、実に、テレビのありとあらゆるコマーシャルにくわえて、ほとんどのテレビドラマや、たくさんの映画でも使用されています。なかでも女優に用いられますが、男性もまた対象とされます。われわれは視聴者が番組本編をみているあいだは自分たちに欠陥があるようにおもわせ、CMタイムにはその[欠陥への]「解決策」[商品]の効能を誇張してみせるのです。

わたしは、この仕事で年間一〇万ポンドの収入を得ています(『ブルシット・ジョブ』63ページ)

グレーバーが、かれにどうしてじぶんの仕事をブルシットとおもうのか、問いかけると、こう応答が返ってきます。

価値のある仕事とは、あらかじめ存在している必要性に応えたり、人が考えたこともない製品やサービスをつくりだして、生活の向上や改善に資するような仕事ではないでしょうか。わたしは、ずっと昔の仕事はほとんどがこういう種類の仕事で、われわれが暮らしてきたのはそういう世の中だったはずだと信じています。いまとなっては、ほとんどの産業では供給が需要をはるかに上回っていて、それゆえ、需要が人工的につくりだされるのです。わたしの仕事は、需要を捏造し、そして商品の効能を誇張してその需要にうってつけであるようにみせることです。実際、それこそが、広告産業になんらかのかたちでかかわるすべての人間の仕事なのだといえるでしょう。商品を売るためには、なによりもまず、人をあざむき、その商品を必要としていると錯覚させなければならない。もしも、そんなことにわれわれが携わっているのだとすれば、こうした仕事がブルシットでないとはとてもいえませんよね[強調引用者](『ブルシット・ジョブ』64ページ)

この証言は、グレーバーもいうように、みずからの仕事がなぜブルシットなのか、その尺度となる社会的価値を当人が言語化していることで、きわだっています。トムは、消費文化そのものをブルシットとしているわけではありません。いわば「誠実なる幻想といんちきな幻想をわけている」のだ、とグレーバーはいいます。

もともと誠実な幻想を通じて人の必要に応じたり、創造的な革新によって人の生活の向上や改善に資するものだったのが、いまでは、人をあざむいて、錯覚させ、高圧的に人にモノを買わせているということです。しかも、そのやり方といえば、人がじぶんに欠陥を感じるようにしむけ、その不安に乗じてモノを売りつけるといったやり方です。

「誠実なる幻想が世界によろこびを招き入れるのに対し、いんちきな幻想は、その世界は安っぽくてみじめな場所なのだと人に信じさせることを意図的に狙っているのである」

たしかに、消費スパイラルに落ち込んだ人がよくいいますよね。これを買うと少しでもじぶんの世界が変わるのではないか、と。たいてい、結局、一瞬高揚したとしても、すぐにまた欲求不満に舞い戻ります。

CMも、そのような人の欲望に巧みに働きかけます。わたしたちの提供する「これ」のある世界は、あなたの世界よりもっとすばらしい、と。とすると、あなたの世界はいつも「これ」のある世界より貧しく、みじめなものである、というメッセージがそこには込められているわけです。

まあ、この商品をじぶんだけもっていないなんて、わたしはなんてみじめ、というイメージをストレートに表現しているCMもありますが、いずれにしても、そのようなメッセージを発することで高い報酬をもらっていることにこのトムは耐えられなかったのです。

つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。