脳の権威が断言「AIを使ってもバカにならない」 米国脳トレーナーが教えるAIとのつきあい方

AI要約

AIが普及する中、人々はAIの影響で「ばかになる」と懸念しているが、知識と推論の違いを考えることが重要である。

AIは知識の代替として機能するが、推論や問題解決には人間の考える力が必要である。

AIは情報の抽出に役立つが、情報の使い方や問題解決の方法については人間の知識と判断が不可欠である。

脳の権威が断言「AIを使ってもバカにならない」 米国脳トレーナーが教えるAIとのつきあい方

ChatGPTの登場以降、世界で急速に普及しつつあるAI(人工知能)。自分の代わりにいろいろなタスクをこなしてくれて便利な反面、多用しすぎることで「頭を使わなくなる」「脳が劣化する」という懸念を抱く人も少なくない。だが上手につきあえば、むしろAI時代にさらに自分の「脳」力やポテンシャルを伸ばすことも可能だ。『LIMITLESS [拡張版] 超・超加速学習』(東洋経済新報社)を上梓した全米トップ脳トレーナーが、脳を鍛えるためのお勧めのAI活用法を伝授する。

■電卓のアナロジーで考える

 AIのせいで人間が「ばかになる」ということはありえるのだろうか。たぶんないだろう。自分からなろうとしないかぎりは。

 電卓のアナロジーを思い出そう。スマホの電卓アプリがこれだけ普及したいま、レストランでチップをいくら払うか、庭にまく芝の種は何袋必要かといった計算を、もはやそらでやる必要はない。僕らの前の世代はそうした暗算ができたし、ここ数十年内に生まれた人もたいがいできるだろうが、かといって鼻歌交じりにできるようなことでもない。

 とはいえ、実際の計算ができることは、あらゆる数学の問題の最も基礎的な部分にすぎない。一番大事なのは、その問題をそもそもどう解けばいいのか知っていることであり、それは電卓にやらせることはできない。電卓にできるのは、あなたが打ち込んだ数字の演算だけだ。

 ここからわかるのは、知識と推論は違うということである。知識とはいわば、大量のデータの集積だ。一方、推論はそうしたデータを、創造したり、問題解決したり、大局的な視点から思考したり、あるいは(人間社会の欠かせない構成要素だと僕らが考える)より高いレベルの機能性を発揮したりするのに応用することである。

 電卓は知識の代わりになりうる。電卓が1台あれば、九九の表を暗記する必要もなければ、3桁の数を2桁の数で割る方法を覚える必要もない。だが、電卓が推論に取って代わることはない。あこがれのギターの購入資金を貯める方法を割り出すには代数が有効だと知らなければ、まずもって電卓に正しい数字は打ち込めない。

 同じように、AIは膨大なデータのなかから、こちらが求める情報を瞬時に抽出して示してくれる。しかし、AIにそもそもどう言って情報を抽出させればいいのか、さらには手にした情報をどう扱えばいいのかを知らなければ、その情報は使いものにならない。