蕎麦屋バイクの「出前機」本当にスゴいのか? フードデリバリー配達員が使ってみた結果

AI要約

日本のフードデリバリーの歴史について、江戸時代から現代までの流れを紹介。

出前機の誕生や普及の経緯、安全性向上の取り組み、そして現在も変わらぬ構造について。

出前機の仕組みや利便性、現在も続くマルシンの製造について解説。

蕎麦屋バイクの「出前機」本当にスゴいのか? フードデリバリー配達員が使ってみた結果

 ウーバーイーツ(UBER EATS)が日本でシェアリングサービスを展開する以前、フードデリバリーと言えば蕎麦やラーメン、寿司、仕出し弁当、ピザなどの飲食店が自前で運ぶ「出前」が一般的でした。

 の起源は江戸時代中期まで遡り、出前専門の「外番」あるいは「かつぎ」と呼ばれる専門の職人が、口入れ屋と寄親・寄子の関係を結んだうえで、店の求めに応じて派遣されていたそうです。

 そんな出前の世界に機械化の波が押し寄せたのが大正~昭和初期のこと。この頃から庶民の間で普及した自転車が出前に使われるようになります。当時はまだ交通量が少なく、どんぶりや蒸籠を出前膳(平盆)に何段にも重ねた状態で自転車を片手運転し、大都会を曲芸さながらに駆け抜けて行く外番の姿を日本各地で見ることができました。

 しかし、太平洋戦争が終わり、高度経済成長期が訪れるとともに国内各地の交通量が急増したことで、配達中の事故が多発するようになります。これに心を痛めた目黒区祐天寺の蕎麦屋「大朝日」(現在は閉店)の主人だった當麻庄司(とうま しょうじ)さんが、安全に出前ができる機械の開発に着手したのが、出前機の始まりです。

 スタンド型の鳥籠に着想を得た當麻さんは、本業の傍らで1951年から開発をスタート、試行錯誤を繰り返して1957年に完成へとこぎ着けました。これが、現在も飲食店で使用されている出前機の原型になります。

 當麻さんは、完成した出前機を付き合いのあった「エビス麺機製作所」に持ち込み、1959年に初めて商品化されました。発売されるやいなや出前機は大変な評判を呼び、1社だけでは注文を捌き切れなかったようで、その後は「マルシン」「コジマ厨房設備」、他2社にもパテントを与えて生産しています。

 一方、出前機と組み合わせて使われることの多いホンダ「スーパーカブ」は、出前機より1年早く1958年に登場しています。カブを開発するにあたり本田宗一郎社長(当時)は「出前持ちが片手で運転できるバイクを作れ!」と命じ、通常のオートバイとは反対の右側に方向指示器の操作スイッチを配しました。

 とはいえ、前述したようにその直後に出前機が登場、普及したことにより、実際に出前のカブが片手運転する姿が見られたのはごく短期間に終わったようです。ちなみに、この片手運転はもちろん道路交通法違反です。

 スーパーカブ同様、いまや各地で見られるようになった出前機ですが、いったいどのようにして、食品が落ちたりひっくり返ったりせず、台の上に載り続けているのでしょうか。

 その構造は、フレームが空気バネと空気バネシャフト、ジョイントピンを介して荷台を吊るす構造で、バイクの傾きに応じて荷台が振り子のように動くことで水平を確保し、空気バネによって路面からの衝撃を逃します。

 外食産業の変化により、現在では出前機の製造・販売を続けているのはマルシン1社となりました。しかし、その優秀な設計と機能は登場から65年が経過した2024年現在も、まったく変わっていません。