富山ライトレールは本当に成功したのか? 再開発は富山駅前「一人勝ち」の現実、中心商店街は地価苦戦 公共交通改革の光と影を考える

AI要約

富山市が公共交通を活用した都市再生の成功事例として注目されている。2006年に次世代型路面電車を導入し、人口減少率が鈍化するなど成果を上げている。

しかし、取り組みによる新たな課題も浮上しており、富山駅前エリアでの「ひとり勝ち」が進行している。公示地価もその発展ぶりを示している。

富山駅周辺の商業集積が進んでおり、新規出店する店舗も主に富山駅前に位置している。今後の発展が期待されている。

富山ライトレールは本当に成功したのか? 再開発は富山駅前「一人勝ち」の現実、中心商店街は地価苦戦 公共交通改革の光と影を考える

 公共交通を活用した都市再生が各地で進んでいるなか、最初の成功例となったのが富山市だ。

 富山市は2006(平成18)年、国内初の次世代型路面電車(LRT)を導入した。老朽化したJR西日本の富山港線をLRT化し、JR富山駅北側と市の北部を結ぶ新たな路線を得た。さらに、2020年には富山市内軌道線(富山地方鉄道富山軌道線)との南北接続も実現した。

 富山市のコンパクトシティ政策の中心には、

「お団子と串」

という概念がある。これは、一定のサービスレベルを持つ公共交通(串)で徒歩圏を結ぶという考え方だ。この政策は成果を上げており、2018年10月の総務省地方制度調査会で示された資料によると、2008年以降、富山市では人口の転入超過が維持され、人口減少率も鈍化している。

 少子高齢化が進むなかで都市機能の維持が難しくなることが懸念されるが、富山市の試みは全国の地方都市から注目されている。

 しかし、この取り組みには新たな課題も浮上している。それは、経済活動が富山駅前エリアに集中し、同エリアの

「ひとり勝ち」

が進行している点だ。

 もともと、富山市の中心市街地は鉄道駅(玄関口)と商店街が離れている構造だった。中心商店街が発展し、賑わいの中心となったのは東西両本願寺別院の門前町から広がる総曲輪(そうがわ)通りとその周辺だった。

 1945(昭和20)年8月2日の空襲で富山市は焼け野原になり、戦後に復興が進むなかで現在の街の基礎が築かれた。このとき、総曲輪では商店街が再建される一方で、富山駅前は闇市からスタートし、現在の富山駅南口正面にある複合商業施設「CiC(シック)」がある場所に自由市場などが整備された。戦後の雑然とした雰囲気は1990年代まで残っており、その名残がCiCには多く見られる。県都の玄関口とは思えない風景が、富山駅前の特徴だったのだ。

 1990年代以降、世代交代と老朽化が進むなかで富山駅前の再開発が本格化し、北陸新幹線の開業がその進展を加速させた。結果として、富山市の歴史で初めて駅前が総曲輪に取って代わる現象が起きているのだ。

 富山駅前の「ひとり勝ち」は公示地価にも表れている。2024年1月1日時点の公示地価では、富山市内の商業地上位5地点の変動率は次のとおりだ。

・1.富山市桜町2丁目1番5:5.4%

・2.富山市桜町1丁目3番4外:2.7%

・3.富山市総曲輪3丁目5番:マイナス1.6%

・4.富山市新桜町5番3:1.9%

・5.富山市総曲輪2丁目6番6外:0.0%

富山駅前の桜町や新桜町では価格上昇が見られる一方、総曲輪では変動が少なく、価格が下がっている。このことからも富山駅前の発展ぶりが一目瞭然だ。『朝日新聞』電子版2023年3月23日付の記事では、

「開発が進む富山駅周辺は、住宅地、商業地ともに堅調で、「一人勝ち」の状況が続いている」

と報じている。

 近年、富山駅周辺では商業集積が著しく進んでいる。駅南口にはMAROOT(マルート)、マリエとやま、パティオさくら、CiCなどの商業施設が集中し、駅北側にも2024年7月に商業施設とオフィスを含む複合ビルDタワー富山が完成、今後の発展が期待されている。

 この記事を書くにあたって「富山初出店」のニュースを検索すると、新たに出店する店舗のほとんどが富山駅前に位置していることからも、その人気が伺える。