ボロボロのローカル線、廃線後に130億円投資で復活…「人口減を回避」「観光にプラス」イタリアの“お手本”に学ぶ

AI要約

イタリア最北部の山間部を走るフィンシュガウ鉄道は、乗客低迷に伴い1991年に廃線。その後、考え得るテコ入れを総動員して2005年に運行再開すると、廃線直前のおよそ27倍となる約7400人/日の乗客が利用するまでの大復活を遂げた。

崩壊寸前の状態だったフィンシュガウ鉄道を再構築するための投資額や効果について考察。県主導での公共投資や国鉄からの資産譲渡が再開の鍵となり、安定した公共交通システムを構築するための取り組みが紹介されている。

路盤工事や車両の購入、信号関係の設備など多岐にわたる投資を行い、約130億円の費用を費やした結果、復活後の鉄道は大きな成功を収め、地域経済や利便性の向上に貢献している。

 イタリア最北部の山間部を走るフィンシュガウ鉄道は、乗客低迷に伴い1991年に廃線。その後、考え得るテコ入れを総動員して2005年に運行再開すると、廃線直前のおよそ27倍となる約7400人/日の乗客が利用するまでの大復活を遂げた。前編と中編では、新型車の導入や鉄道・バスの乗り継ぎにかかわる工夫、鉄道を利用したくなる魅力と利便性アップの取り組みや、組織構造の改変について、詳しく解説した。後編の今回は、復活にかけたコストと効果について見ていこう。

 (柴山多佳児:ウィーン工科大学交通研究所 上席研究員)

 <前編>廃線から14年…イタリア山間部のローカル線“大復活”のワケ 「乗客27倍」「新型車で利便性アップ」ナゾを徹底解剖

<中編>乗客減のローカル線、魅力はこう磨く! 廃線から劇的復活「ホームで乾杯」「両側乗降」イタリアの鉄道に学ぶ先行投資

■ 現実的だととらえられていなかった“復活案”

 当たり前であるが、ボロボロの状態の、しかも60kmにもわたる鉄道路線を再構築するにはそれなりの費用がかかる。前編で詳しく見たように、フィンシュガウ鉄道がいったん廃線となったのは1991年である。そこから再開までの議論は長いものであった。

 沿線に居を構える世界的な登山家のラインホルト・メスナーは、廃線跡を自転車道にすることを推していたという。廃線跡を舗装して、バス専用道とする案もあったそうだ。

 復活を主導することになる県や、県議会の政治家は、廃線当初から鉄道の復活を話題にはしていたらしいが、特に具体的な進捗があったわけでもなく、地元住民もリアリティのある話だとは受け止めていなかったようだ。

■ 投資額約130億円、廃線から復活のきっかけは…

 大きく前進するきっかけの一つは、フィンシュガウを通る国道を走るバスで顕在化した定時運行の課題であった。廃線ののち、並行する国道の交通量が次第に増えてバスの定時運行がままならなくなり、信頼性のある公共交通とはいいがたい状況に陥ってしまったという。

 定時性は安全性と並んで公共交通への信頼の基盤となるものである。いつ来るかわからない、どれくらい遅れるかわからない公共交通では、利用者にとってはストレスの源であって、そのような状況では車を使うほうがマシである。

 もう一つの鉄道の復活への重要なきっかけは、1999年にイタリア国鉄から県にインフラなどの資産が譲渡されたことだとフィンシュガウ鉄道の関係者は異口同音に言う。これによって県主導での公共投資が格段に行いやすくなった。

 その投資額の予算をまとめたのが表で、2001年1月8日に州議会で議決されたものである。全体の予算額は約8,800万ユーロ。2001年1月当時のレート(1ユーロ=106.4円)で計算すると、約93億円である。

 なお、欧州共通通貨ユーロの現金が市中で流通するようになったのは2002年からであるが、1999年からは現金以外の取引などは各国通貨とユーロの両方で行われる移行期間に入っており、表はすべてユーロ建てである。

 2001年に議決されたのに先行して2000年にも支出がなされている。これはトンネルや橋など、自転車道であれバス専用道であれ、どんな形かは問わず将来使うことになる土木構造物のメンテナンスの費用だと考えられる。

 路盤工事や車両の購入といった、鉄道としての再開に必要な投資の主な部分は議決後の2001年以降である。内訳をみると、主に費用がかかっているのは路盤や線路といった土木構造物や車両にくわえて、列車の集中制御のための設備など信号関係の設備が多い。

 鉄道の信号は目立たないので見落とされがちであるが、安全運行を支えるだけではなく、効率的で信頼性の高い運行も支えるという意味で極めて重要な設備である。また踏切の除却や整理にかなりのコストをかけているが、これは一部を立体交差としたほか、換地を行うなどして線路で分断されていた農地を整理して踏切を減らしたためである。

 2004年より後の期間も含めた、2005年の再開までに要した投資額の合計は、分類はやや異なるが、以下の表に示した通りである。全体で1億2500万ユーロ、開業時の2005年5月のレート(1ユーロ=136円)で換算してしまうと約170億円で見かけ上は大幅に増えてしまっているように見えるが、予算建ての際の為替水準(1ユーロ=106.4円)で計算すると約130億円である。

 重要な点であるが、これは社会資本ストックの形成のための支出である。確かにお金はかけているが、県の資産、つまり公共の資産となるものである。上で線路の州政府への移管が再開の鍵になったと書いたが、これをうまく使うことで県自らの裁量で社会資本整備を行ったわけだ。