堀江貴文「いずれ東大ブランドは価値を失う。日本の小中学校は潰れていい」…ホリエモンが思い描く「新しい学校」

AI要約

堀江貴文氏が、日本の教育制度を変革する必要性と、学歴偏重の問題点を指摘。

大学がブランド化し、実質教育機関としての中身を失っていることについて述べる。

堀江氏自身の経験を通じて、学歴とブランド価値の関係について考察。

堀江貴文「いずれ東大ブランドは価値を失う。日本の小中学校は潰れていい」…ホリエモンが思い描く「新しい学校」

日本が活力を取り戻すためには、学校教育を解体・変革しなくてはいけない……。そう語るのは、新刊『ホリエモンのニッポン改造論』を発表した堀江貴文氏だ。なかでも「オンライン授業」の導入は、あらゆる面においてメリットしかないという。ホリエモンが思い描く、新たな学校のカタチとは? 存分に語ってもらった。

いろいろと問題を指摘されながら、それでも小・中学校から高校、大学までの「学校」という教育機関が維持されてきた背景には、根強い学歴偏重主義がある。

現時点では、依然として、人材を選ぶ際には「学歴」でフィルタリングすることが多い。だが、こうした学歴の役割も、近い将来、崩壊すると私は考えている。

名門だろうと何だろうと、今や大学は「ブランド」に過ぎない。偏差値の高い有名大学を出たからといって、その人が優秀な人材であるとは限らない。大学とは、いわば、必ずしも実体の伴わない「幻想」と化しているのだ。

そういう意味では、大学はルイ・ヴィトンやエルメスと同じだ。

ハイブランドの価値が失われないのは、もともとブランドビジネスと思ってやっているからだろう。彼らは「ブランド品を持っているというステータス」を売り、それを欲する人が買う。ブランドのステータスなんかよりも、自分に似合うか、機能性は高いかといった点を重視する人は買わない、というシンプルな需要と供給の話である。

同じように、大学も、上位の名門校はブランドビジネスに突き進む可能性がある。そうなれば、名は知れていても教育の中身はないという、教育機関として身も蓋もないことになっていくだろう。

もっとも私は、前々から、そんな身も蓋もなさを感じていた。

最初に実感したのは東大を中退したときだ。親を含む周囲の人たちからは、「せっかく東大に入ったのに、もったいない」とさんざん言われ、心配された。しかし、よくよく考えたら、東大は「卒業したこと」よりも「入学したこと」のほうが大事なのである。

世間では「東大に入学した」というだけで十分ハクがつき、それは中退しようと卒業しようと変わらない。わざわざ時間をかけて卒業しなくても、私はすでに「東大」というブランド価値を手に入れていたわけである。