強い精神力に必要不可欠な「心のコントロール法」 「自分の感情を客観視できるか」が重要ポイント

AI要約

緊張や不安、喜怒哀楽に振り回される日々はもう終わり。人間関係、周囲の雑音などの環境に左右されない「自分基準」の生き方を探究する。

元陸将の経験を通じて、自分のメンタルを鍛える方法や心のトレーニング法について学ぶ。

自分の心と自己認識について考え、感情や欲望に振り回されない客観的な観察の重要性を理解する。

強い精神力に必要不可欠な「心のコントロール法」 「自分の感情を客観視できるか」が重要ポイント

緊張や不安、喜怒哀楽に振り回される日々はもう終わり。人間関係、周囲の雑音などの環境に左右されない。「自分基準」の“絶対的”な生き方へ――。

「人生終ったかも……」防衛大入学直後に心が折れかけた「のちの陸将」は、どうやって自分のメンタルを鍛えたのか?  2016年熊本地震の災害派遣を指揮した元陸将、小川清史さんが教える一生使える心のトレーニング法『どんな逆境でも、最高のパフォーマンスを発揮する 心を「道具化」する技術』から、一部抜粋してご紹介します。

■「自分の心=自分自身」なのか? 

 最初にひとつ質問があります。

 「自分の心=自分自身」だと思いますか? 

 いきなりヘンなことを聞いてくるなと思われるかもしれませんが、ご自身のことをよく考えてみてください。

 これは別に哲学や科学に関する話ではなく、あくまでもみなさんが「自分」というものをどう認識しているかという確認です。なので、「最新の科学ではこれが正しい」「哲学的にはこう考えるのが正解だ」という意味の問いではありません。

 ただ、私のこれまでの経験上、自分のメンタル面の弱さ(心の弱さ、精神的な弱さ)に悩んでいる人(自分の感情・欲望に振り回されている人も含む)の多くは、どうやら「自分の心=自分自身」だと考える傾向が見られます。

 かく言う私も、感情・欲望に振り回されていた時には、心の状態に必要以上に振り回されている自分がいたので、この傾向の存在は身に沁みて感じています。

 では、本当に「自分の心=自分自身」なのでしょうか? 

 何かに腹を立てて我を忘れるほど怒ってしまった時や、物事がうまくいかなくて落ち込んだ時などに、「あそこまで感情的に怒る必要はなかったかな」「こんなことでクヨクヨ悩んでいる自分が嫌だ」と後悔したり反省したりしたことが、誰でも一度くらいはあると思います。

 怒りや悲しみを感じているのは「自分の心」です。

 では、その怒りや悲しみでいっぱいになった「自分の心」を客観的に観察し、後悔・反省しているのはいったい誰なのでしょうか?