124年ぶりのパリ出展を果たした老舗茶舗 下り坂だった日本茶を変えた「見せ方」

AI要約

東京繁田園茶舗は、日本茶専門店として老舗であり、急須でお茶をいれる市場の縮小に直面しつつも、若い世代や外国人向けに取り組んでいる。

3代目の繁田穣さんは祖父が設立した東京繁田園茶舗を再興し、SNS活用やイベント出展を通じて新しい見せ方を提案している。

繁田さんは大手百貨店を経て家業に入社し、経営危機を乗り越えるために独自のアプローチを模索している。

124年ぶりのパリ出展を果たした老舗茶舗 下り坂だった日本茶を変えた「見せ方」

 東京繁田園茶舗は、東京都杉並区に2店舗を持つ日本茶専門店です。江戸時代の茶園をルーツとする老舗ですが、缶やペットボトルの普及で急須でお茶をいれる市場が縮小。売り上げは半減し、2020年ごろは廃業の話も出るような状態でした。大手百貨店出身で3代目の繁田穣さん(46)は2021年に家業に入社。出版社出身でいとこの藤田真理子さん(30)と手を組み、日本茶文化を若い世代や外国人に伝えるため、パッケージのリニューアルやSNS発信、イベント出展で「見せ方」を強化し、経営を上向かせました。2024年7月にはパリの大型展示会「Japan Expo」にも出展。越境ECなどグローバル市場の開拓も準備しています。

 東京繁田園茶舗のルーツをたどると、1815年、今の埼玉県入間市に開いた茶園にたどり着きます。会社としては、1875年に日本初の茶の直輸出会社として設立された狭山製茶会社(繁田園)が始まりです。東京繁田園茶舗は1947年、繁田さんの祖父弘蔵さんが、繁田園の東京支店として設立しました。

 狭山製茶会社は今はありませんが、東京繁田園茶舗は独自の進化を遂げ、一時は杉並区外にも複数店舗を運営。経営を継いだ繁田さんの父豊さんは、2人の弟と忙しく店を切り盛りしました。

 ところが1980年代、缶やペットボトル入りの緑茶が登場すると、「急須でいれるお茶」の市場は急速に縮小。都内の日本茶専門店も激減し、東京繁田園茶舗の売り上げもピーク時から半減したといいます。現在の店舗は阿佐ヶ谷と荻窪の2店です。

 豊さんは2020年ごろ、親族が集まる席で「5年後に店を閉めようと思う」と宣言します。当時、百貨店勤務だった繁田さんの心は揺れました。「慣れ親しんだ店がなくなる寂しさ、お茶の文化を伝える場所が消えることの危機感を覚えました」

 実は繁田さんも、自身のキャリアについて悩み始めた時期でした。

 繁田さんにとって、小さいころから家業は身近でしたが、大学卒業後は都内の大手百貨店に入社しました。食品部門担当として年間120日は出張して地方を回り、物産展を企画。大学院でMBAを取得し、6年間の上海駐在も経験しました。

 ただ、組織内の立場が変わるにつれて、プレーヤーとしての楽しさから離れていきました。消費者との接点が薄れ、「自分の手が届かなくなる感覚」にもどかしさを感じるように。小売りの原点に立ち返るには、「もう一度、一兵卒でやらなくてはいけないのではないか」と考えるようになりました。

 さらに当時、父と事業を切り盛りしていた母が、腰を痛めて2週間ほど仕事ができなくなりました。母の不在が店の将来を考える機会となり、「店舗を整理した方がいいかもしれない」と頭に浮かびました。

 店をたたむにも労力がかかります。「自分が入って緩やかに縮小していこう」と決意しました。