古野電気創業者、古野清賢氏が死去 98歳

AI要約

古野電気創業者である古野清賢氏が誤嚥性肺炎のために98歳で亡くなった。

古野氏は魚群探知機の実用化を世界で初めて成功させ、古野電気を世界トップメーカーに育て上げた。

お別れの会は9月30日に神戸市で開かれる。古野氏は藍綬褒章や旭日小綬章を受章している。

 魚群探知機を世界で初めて実用化した古野電気(西宮市)の創業者の一人で、同社名誉相談役の古野清賢(ふるの・きよかた)さんが6月26日午前7時53分、誤嚥性肺炎のため死去した。98歳。長崎県出身。自宅は西宮市。葬儀・告別式は近親者で行った。お別れの会を9月30日午後0時半から、神戸市中央区港島中町6の10の1、神戸ポートピアホテルで開く。

 6歳上の実兄故清孝さんが1938年に長崎県で設立したラジオ修理販売の「古野電気商会」に、高等小学校卒業後の41年、15歳で入社した。同年、ラジオ主任技術検定に全国最年少で合格し、48年、清孝さんと魚群探知機の実用化に成功した。

 55年に長崎市で古野電気を設立、64年に西宮市に本社を移転した。主に営業部門を担い、同社を船舶用電子機器の世界トップメーカーに育て上げた。87年に清孝さんから社長職を引き継ぎ、92年に会長。96年に常任相談役に退き、2014年から名誉相談役。88年に藍綬褒章、07年に旭日小綬章を受章した。