トヨタ初の小型大衆車「パブリカ」、政府が提唱した国民車構想に応え39.8万円で登場【今日は何の日?6月30日】
トヨタが国民車構想に応じて開発した初の小型大衆車であるパブリカが誕生した日。条件をクリアする燃費と最高速を達成し、競合車種との差別化を図ったが、販売は厳しい状況にあった。
国民車構想の背景や目標について。当時の技術水準からは高い目標だったが、メーカーの技術向上とモータリゼーションの先駆けとして重要な役割を果たした。
パブリカの仕様や性能について。軽量ボディや燃費性能に重点を置き、当時の需要に応えるコンパクトな設計となっている。
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日6月30日は、トヨタ初の小型大衆車「パブリカ」が誕生した日だ。1955年に政府が提唱した“国民車構想”に基づきトヨタが開発したのがパブリカであり、先陣を切って小型大衆車市場を切り開いたクルマである。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・すべてシリーズ
1961(昭和36)年6月30日、トヨタから小型大衆車の切り札として「パブリカ」がデビューした。パブリカは、一般庶民でも入手できる国産乗用車の開発・生産を推進するために1955年に政府が提唱した“国民車構想”の設計思想に基づいて開発され、日本の小型車のパイオニアとなったモデルだ。
日本でやっと乗用車が増え始めた1955年、通産省は一般庶民でも所有できる純国産乗用車の開発・生産を促進するため国民車構想を発表した。
【国民車構想とは】
・乗車定員=4名
・排気量=350cc~500cc
・車速60km/h走行時の燃費=30km/L以上
・最高速=100km/h以上
・販売価格=30万円以下
などといった目標をクリアしたメーカーに、製造設備・販売資金の一部を支援するという内容である。実際には、当時の日本メーカーの実力では目標が高すぎるため、自工会が達成不可能と表明して構想そのものは不発に終わった。
しかし、国民車構想が果たした乗用車の国産化技術の発展とモータリゼーションの火付け役としての役割は、非常に大きく、メーカーは競って技術を磨き、安価な小型乗用車の開発を推進させた。トヨタの国民車構想に対する回答が、パブリカだったのだ。
トヨタは1955年に完全オリジナルの高級車である初代クラウン「トヨペットコロナ」、続いて1957年には中型乗用車「トヨペットコロナ」を発売。続いて、ワンランク下の小型大衆車として登場したのがパブリカであり、そのネーミングは一般公募で決定され、大衆を意味するパブリックとカーを合わせた造語である。
ボディタイプは、3ボックスの2ドアセダンのみで、コンパクトながら十分なキャビンと荷室スペースを確保。パワートレインは、700cc直2水平対向の空冷SOHVエンジンと4速MTの組み合わせのみ、駆動方式はFRだった。
エンジンの最高出力は28psと平凡だったが、当時としては珍しいフルモノコックボディにより、車両重量は580kgと軽量だったため、国民車構想の条件をクリアする31km/L(60km/h定地走行)の燃費と最高速110km/hを達成した。
当時としては、優れた性能と実用性を兼ね備えたパブリカだったが、厳しい販売を強いられた。コストダウンを意識するあまり、単一グレードのみでラジオやヒーター、燃料計などがない質素な装備ながら、価格が軽自動車より高いことで、中途半端な位置づけとなってしまったのだ。