関東「気動車王国」の離れ小島路線が面白い! 不思議な“右ハンドル”車両 3駅の路線に“スゴイ密度”であるものとは?

AI要約

竜ヶ崎線は関東鉄道の短距離鉄道で、歴史が古く蒸気軽便鉄道から始まりました。線路幅を改軌し、日本で最初期の1067mm軌間でガソリンカーを導入。現在は常磐筑波鉄道から関東鉄道へ変遷しています。

佐貫駅は無人駅で、マンションの上に位置。駅周辺には廃駅跡も残り、ワンマン運転や進行方向右側に運転席を配置など、独自の要素が見られます。

気動車の動態保存車も運行される竜ヶ崎線では、キハ2000形とキハ532形が1両で基本運行。運転席の配置や踏切を渡る風景など、特徴的な要素がある。

関東「気動車王国」の離れ小島路線が面白い! 不思議な“右ハンドル”車両 3駅の路線に“スゴイ密度”であるものとは?

 北関東に路線を持つ私鉄の関東鉄道。51.1kmもある常総線(取手~下館)は、非電化ながら一部複線で、最短6分間隔で列車が運行される都市近郊路線です。その近くに、わずか4.5km、全ての駅を数えても3駅という短距離鉄道があります。同じ関東鉄道の竜ヶ崎線です。

 竜ヶ崎線の歴史は古く、1900(明治33)年の龍崎鉄道 佐貫~龍ヶ崎間開業を始まりとします。開業時の駅は、佐貫、南中島、門倉、龍ヶ崎でしたが、翌年に南中島と門倉のあいだに入地駅が設置されました。当時は線路幅762mmの蒸気軽便鉄道でしたが、1915(大正4)年に1067mmに改軌しています。

 注目すべきは、1927(昭和2)年にガソリンカーを導入したことです。日本におけるガソリンカーは1919(大正8)年が最初ですが、1067mm軌間でのガソリンカー導入は全国でも最初期となります。

 龍崎鉄道のガソリンカーは1両だけで、客車や貨車の牽引には蒸気機関車が使われました。ちなみに1925(大正14)年に導入された4号蒸気機関車が、龍ヶ崎駅から近い龍ケ崎市歴史民俗資料館(茨城県龍ケ崎市)に保存され、資料館には竜ヶ崎線関係の展示物もあります。

 龍崎鉄道は1944(昭和19)年に鹿島参宮鉄道へ吸収されます。そして1957(昭和32)年に南中島、門倉の両駅が廃止され、現在の3駅となったあと、1965(昭和40)年に鹿島参宮鉄道が常磐筑波鉄道と合併して、関東鉄道竜ヶ崎線となりました。

 なお、貨物営業が廃止された1971(昭和46)年より、戦後の私鉄としては日本で初めてワンマン運転を行っています。

 起点となる佐貫駅は、JR常磐線の龍ケ崎市駅に隣接しています。2020年までJRも佐貫を名乗っていましたが、改名して現駅名となりました。ちなみに、JR駅は旧字体の「龍」ですが、関東鉄道は「竜」を使っています。

 開業時は「龍ヶ崎線」で終点も「龍ヶ崎駅」でしたが、1954(昭和29)年に常用漢字が「竜」になることに伴い、「竜ヶ崎」に改めています。ちなみに、市の名前は「龍ケ崎市」。「ケ」の大きさといい、ちょっとややこしいです。

 佐貫駅は建物の上がマンションで、1階に駅を示す表記はありますが、マンションのテナントのような雰囲気。無人駅で、交通系ICカードが使用できます。筆者(安藤昌季:乗りものライター)は2024年5月(日曜日)の朝と昼に2回訪れましたが、どちらも20名程度の乗客が下車し、同じくらいの人数が乗車していました。なかなかの盛況です。

 竜ヶ崎線の気動車は1997(平成9)年製造のキハ2000形と、1981(昭和56)年製造のキハ532形で、基本的には1両で運行されます。キハ532形は動態保存車の扱いで、毎週土曜日に終日運行されています。足回りは国鉄キハ20形の流用で、台車は1959(昭和34)年製造と年代物です。

 どちらの車両も、運転席が進行方向右側に設置されている点が特徴です。通常の鉄道車両は進行方向左側に運転席がありますが、竜ヶ崎線は駅のホームが進行方向右側にしかないため、ワンマン運転の都合上、運転席も右側に設置されているわけです。

 キハ2000形は、運転席の左側スペースが開放され、列車の先端から前面展望を楽しめます。佐貫駅を出発するとすぐに踏切。加速しつつ、次々に踏切を渡ります。

 発車から1分50秒後。5つ目の踏切付近が、かつて南中島駅があった場所です。当然ながらホームはないので、見た目には分かりません。旧南中島駅周辺には住宅が多く、駅が残っていれば重宝されたと思う立地です。後ほど沿線を歩き、廃駅跡にも行きましたが、駅の後を示した小さな看板がありました。