なぜ「体験格差」は広がるのか…選択肢が少なくなってしまう要因

AI要約

低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、習い事や家族旅行が贅沢に思える現代社会での体験格差の実態に迫る。

障害のある子どもを育てる親や多子世帯における子どもたちの「体験」に関する問題点を通じて、社会が求められるサポートについて考察。

外国ルーツの家族や日本語を理解できない親子など、言語や文化の壁による「体験」の制約も指摘され、異なる背景を持つ家族への配慮が必要とされる。

なぜ「体験格差」は広がるのか…選択肢が少なくなってしまう要因

 習い事や家族旅行は贅沢? 子どもたちから何が奪われているのか? 

 低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、人気の水泳と音楽で生じる格差、近所のお祭りにすら格差がある……いまの日本社会にはどのような「体験格差」の現実があり、解消するために何ができるのか。

 発売即4刷が決まった話題書『体験格差』では、日本初の全国調査からこの社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態に迫る。

 *本記事は今井悠介『体験格差』から抜粋・再編集したものです。

 鎌田かおりさん、村上菜月さん、ウォルデ舞さんからお話を聞いた。鎌田さんと村上さんはそれぞれ障害のある子どもを育てている。一口に「障害」と言っても、身体障害、知的障害、精神障害と、その特性や程度は様々だが、「体験」の機会という意味では、やはり選択肢そのものが少なくなりがちだ。

 【鎌田かおりさん】

・発達障害の子どもをもつ親が直面する「貧困と体験格差」の現実

https://gendai.media/articles/-/131771

 【村上菜月さん】

・「ほかの子にできることができない…」精神障害かつ生活保護を受ける親が障害のある子どもを育てて思うこと

https://gendai.media/articles/-/131773

 【ウォルデ舞さん】

・ハローワークで「おたくの国は難しいからね」…年収400万円で5人の子育てする「生活と仕事の現実」

https://gendai.media/articles/-/131781

 ・子どもの誕生日が集中する時期は出費が増えてつらい…5人の子どもに対する「お金の使い方の困難」

https://gendai.media/articles/-/131783

 村上さんは、決められたルールがある場合や大勢の子どもたちと一緒に活動するような場合には、自分の子どもは参加が難しいという話をしていた。加えて、そうした場を運営する側に、障害のある子どもたちへの理解が十分でない場合もあるだろう。周囲に気を配りながら、我が子の「体験」に付き添い手助けする。その負担は決して小さくない。

 子どもに障害がある場合、その親がフルタイムで働きづらい、残業や夜勤に対応できないといった就労面の制約につながることも多い。鎌田さんの場合は、早めのお迎えなど急な対応が必要となって勤務時間が減り、収入が減ってしまうことに困っていた。経済的な貧困状態に陥るリスクは高いと言えるだろう。

 鎌田さんのお話からは、障害のある子どもがいる場合のきょうだいへの影響も見えてきた。難しい問題だが、より丁寧なケアを必要とする子どもが家族の中にいることで、別の子どもの「体験」が間接的に阻まれるという状況だ。

 親の介護や家族の世話のために、子どもがやりたいことをあきらめざるを得ない「ヤングケアラー」のテーマとも地続きで、社会によるサポートが切実に求められる。しかし、「育児支援のボランティアの方にも上の子はもう見きれないと断られました」という現実に、鎌田さんと子どもたちは直面している。

 大人の人数に対して子どもの人数が多くなる多子世帯でも、近しい問題が起こる。ウォルデさんが言うように、大人が一人ひとりの子どもに目を行き届かせるのは構造的に難しく、お出かけやアウトドアなどの機会がどうしても限られてしまいがちだ。

 実際、多子世帯の子どもたちが習い事やクラブに参加するとして、もしそこで親の付き添いや当番が必要だとすれば、子どもがそれぞれ自分自身の興味に沿って好きなものを選ぶことは難しいだろう。

 例えば、5人の子どもが別々のクラブに入った場合、親がそのすべての活動に顔を出したり、練習や試合の場所に送迎したりということは現実的ではない。親の視点では、きょうだいが同じ教室やクラブに参加してくれたほうが負担は減るが、それが子一人ひとりの望みと合っていないという場合もあり得るだろう。

 外国にルーツを持つ親子の場合、日本語の制約が「体験」の壁になることもある。日本語ができなければ参加しづらいものが少なくないという直接的な問題に加えて、地域にどんな「体験」の場があるのかについての情報自体が日本語のみで流通しているといった問題もある。

 ウォルデさんの夫婦のように、どちらか(例えば妻)が日本の方の場合は、日本語の問題は相対的に生じづらいかもしれない。しかし、ウォルデさんが学校などの書類関係を一手に引き受けているように、「体験」の場に関わる様々なコミュニケーションや時間的な負担について、夫婦の間でうまく分散しづらいという状況は起こり得るだろう。

 子どもがある程度大きくなってから(例えば10歳よりあとに)来日した場合などは、同じ外国ルーツでも日本生まれの子どもに比べてさらに日本語が壁となりやすい。そのあたりを適宜サポート可能な地域でのつながりがあればまだ良いが、それすらもない孤立状態の場合はさらに深刻だ。