お値段3億7500万円から!1900馬力のハイパーカー「ピニンファリーナ・バッティスタ」が日本上陸

AI要約

イタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナが、新業態のアウトモービリ・ピニンファリーナを設立し、最初のモデルは電動ハイパーGT「バッティスタ」を発表。

バッティスタは1900馬力の高出力で驚異的な加速を実現し、ピニンファリーナの伝統とも言えるデザイン力を存分に発揮。

ピニンファリーナは創業者のバッティスタ・ファリーナに敬意を表し、クルマづくりへの長年の思いがようやく実を結ぶ。今後もB to Bのビジネスを継続し、技術や新素材の提案も引き続き行う予定。

お値段3億7500万円から!1900馬力のハイパーカー「ピニンファリーナ・バッティスタ」が日本上陸

 世界中のクルマをデザインしてきたイタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナが、新業態としてアウトモービリ・ピニンファリーナ(Automobili Pininfarina)を設立。自動車メーカーとして、新たなスタートを切った。

 そして、第1弾モデルが、1900馬力もの高出力をうたう電動ハイパーGT「バッティスタ」だ。

 このクルマは、予想をはるかに超えていた。「ロケットに車輪をつけたのか?」と思うような凄まじい加速を体験させてくれたのだ。

 いったいピニンファリーナは、どんな思惑でクルマづくりを始めたのだろうか。2024年5月に日本で行われた発表会と試乗会のタイミングで、背景にある思いをたずねると、意外な答えが返ってきた。

■ピニンファリーナという老舗

 バッティスタという車名は、ピニンファリーナの創業者、バッティスタ・ファリーナからの命名だ。

 バッティスタは1930年に自動車メーカーのために車体をデザインし、製作もするカロッツェリアを創業した張本人で、ニックネームが“ピニン”だったことから、社名を当初は「ピニン・ファリーナ」に。のちに一族は、名字を含めて、「ピニンファリーナ」の一語に変更したのだった。

 大河ドラマなみの壮大な物語にならないよう、クルマのバッティスタが実現にこぎつけるまでの流れを、手短に説明しよう。

【写真】超弩級スポーツカー「バッティスタ」の全貌を見る(60枚以上)

 バッティスタ・ファリーナ(1883~1966年)は、当初より、車体にとどまらず「クルマを作りたい」という希望を持っていたという。次に会社を引き継いだセルジオ・ピニンファリーナ(1926~2012年)の時代にも実現せず、セルジオの次男パオロ(1958年生まれ)がグループの会長になってようやく結実する。

 2015年に、インドのコングロマリット、マヒンドラが経営に参画し、アウトモービリ・ピニンファリーナが設立されたのだ。

 従来のデザイン会社としてピニンファリーナも、B to Bのビジネスを継続。その中には、これまでどおり、技術や新素材などの提案も含まれる。ピニンファリーナの名は、今後もこの2つの会社が使うことになるという。

 バッティスタが2019年のジュネーブ自動車ショーで大きな話題を呼んだのを、私はよく覚えている。ピニンファリーナが自ら自動車を作ったことは、驚きを持って受け入れられたのだ。