朴正煕の郷愁が生んだ朴槿恵ファンダム、盧武鉉の哀愁が生んだ文在寅ファンダム

AI要約

政治ファンダムには対象に対する情緒的な愛着と、ファンダムが共感するナラティブが必要。アイドルファンダムを説明する際には「恨を飲み込む」という表現が用いられるが、心を打つストーリーや栄誉と恥辱のドラマが必要だというわけだ。

朴槿恵元大統領の政治ファンダムは、父親の後光、中身のない芸能人式の人気、そしてファンダム的支援が複合的に作用して形成された。彼女は大衆的人気を持ち、様々な支持を集めた。

文在寅ファンダムは哀愁から始まり、保守政権とメディアの圧力に対抗してソーシャルメディアを活用。彼のファンダムは感性ブランド化し、力強い支持を集めた。

朴正煕の郷愁が生んだ朴槿恵ファンダム、盧武鉉の哀愁が生んだ文在寅ファンダム

 政治ファンダムには対象に対する情緒的な愛着と、ファンダムが共感するナラティブ(物語)がなければならない。アイドルファンダムを説明する際には「恨を飲み込む」という表現が用いられるが、心を打つストーリーや栄誉と恥辱のドラマが必要だというわけだ。「自分がファンになった対象が負う『災い』は、アイドルファンとしてきわめて強い力と強固な結束力を発揮するファンダムに生まれ変わる儀式に他ならない」(イム・ミョンムク)。例えるならば、アリストテレスが修辞学の一つとして取り上げて論じたパトスがあってこそ、強力なファンダムを形成できる。それでこそナラティブに没入できる。没入は内部に熱狂を生み、外部に憎悪を生む。

 朴槿恵(パク・クネ)元大統領は両親をともに銃弾で失った。9歳から27歳まで大統領の娘として過ごし、母親を失った後は令夫人(ファーストレディー)の役割を代行した。父親の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺後、20年近くを独身のまま忘れられて過ごし、1997年のアジア通貨危機後、「(父が)あんなに苦労して発展させた国なのに…」と言い政治に飛び込んだ。保守の英雄、朴正煕に対する郷愁に苦難の人生のストーリーまで加えられた悲壮なナラティブは、政治ファンダムを生みだすシンボル資本として作用した。朴槿恵元大統領は党を2回も救った。1回目は2004年の総選挙のときだ。「朴槿恵代表はハンナラ党(現「国民の力」)の『救世主』も同然だった。2002年の大統領選の敗北で転落したハンナラ党が、2004年の4・15総選挙で一定数の議席を維持できたのは、朴代表の大衆的人気のおかげだったと言っても過言ではない」。2005年の朝鮮日報の記事だ。2012年の総選挙の際も、彼女は党の非常対策委員長を担当し、勝利のマジックを見せた。

 政治セレブである朴槿恵元大統領の大衆的人気は、ある新聞記事のタイトルのように「父親の後光、中身のない芸能人式の人気」だと切り捨てられたこともあった。しかしそれは政治ファンダムだった。彼女は「槿恵様」「朴チャン(愛称と「最高」の意味をかけた呼び方)」と呼ばれたりもした。愛情のこもった呼称だ。2004年3月に開設されたファン・コミュニティ「朴槿恵を愛する会(朴サモ)」は6万人の会員(2011年)を擁し、掲示板は「胸が震える」「恋しい」などの崇拝と親しみの愛情表現であふれていた。ライバル勢力に対しては「恥じ知らずの人間」「裏切り者」「卑劣なならず者」「いやらしい偽善者」などの敵がい心を示すファンダム言語を用いた。今のファン活動そのものだ。

 朴槿恵元大統領にはファンダムの感受性があった。「ミニホームページの開設初期に未公開の家族の写真を掲載し、100万回目の訪問者との『1日デート』を予告して訪問者数を増やすなど、巧みな手腕を発揮した。『朴槿恵を愛する会』は、結成わずか1年で会員数4万人に近い大規模な組織に発展し、これらの人たちは責任党員制を導入するハンナラ党に集団入党する動きをみせている」(カン・ジュンマン)。このようにして構築されたファンダムの力は驚くべきものだった。2008年の総選挙では、親朴槿恵派の候補が出馬しているわけでもないハンナラ党の地盤である選挙区で、党事務総長だった議員が「普段から朴槿恵を苦しめていた」という理由で、あっけなく落選した。また、党の公認を得られなかった親朴槿恵派の候補たち、すなわち親朴連帯に所属の14人と親朴無所属12人が「親朴突風」で当選した。

 朴槿恵ファンダムは、朴正煕に対する郷愁や保守感情に合うペルソナと形態、一人で残された大統領の娘やカッター襲撃事件のような感性の要因、保守メディアの「ファンダム的」支援などが複合的に作用したものだが、朴槿恵は大統領就任後、ファンダム政治を統治戦略に活用した。大統領選で過半数の票を得て勝利し、議会でも多数議席を確保していた。就任当初を除くと、2年目の中頃まで50%を超える支持率を享受した。後半の開始後もメディアの形勢でさらに有利になった。たしかに、政権初期の国家情報院コメント事件やセウォル号惨事などの不安定要因がないわけではなかったが、政権基盤は安定していた。セウォル号惨事直後の2014年6月の地方選挙でも事実上勝利した。広域自治体の首長選挙では野党より1議席少なかったが、地方自治体の首長選挙では117議席対80議席で大きくリードした。

 それでも朴槿恵大統領はファンダム政治を稼動した。政党と議会が原因だった。ユ・スンミン院内代表との対立のために党を、また、国会先進化法にともなう議会の膠着状況(gridlock)のために国会を、障害物と感じた。李明博政権期のいわゆる動物国会に対する反省から作られた国会先進化法によって、朴槿恵政権は動きに制御を受けた。一方的な強行処理が難しいうえ、与党も機械的に賛成する人の役割を拒否した。結局朴大統領は、政党と議会を迂回・圧迫するファンダム政治に乗りだした。ファンダムを動員してユ・スンミン氏を院内代表職から追い出し、国会改革請願に署名するなどして「大衆の中に入っていき」(going public)、2012年の総選挙では親朴鑑別騒動を引き起こしながらも、公認候補を独占した。岩盤支持層と呼ばれる強いファンダムを信じて繰り広げたポピュリズム政治だった。

 文在寅(ムン・ジェイン)ファンダムは盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領への哀愁から始まった。盧元大統領に対する保守政権とメディアの圧力、そして死によって、「守ってあげられずごめんなさい」という情緒ともの悲しいナラティブが生まれた。民主化、特に政権交替以降、保守メディアの力が強まり、政治のメディア化が進行し、ケーブルテレビの総合編成チャンネルの登場によってさらに深まった。このような劣勢のもと、既成メディアに代わるSNSなどのソーシャルメディアが対抗言論として登場した。「このようにして、スマートフォンやポッドキャスト、SNSプラットフォーム技術の発達と技術間の相互作用が、代案あるいは対抗的な公論の場を作ることによって、『プラットフォーム政治』または『ネットワーク政治』が、保守化されたマスメディア中心のメディア政治と競争できるようになった」(ペク・ウギン)。この時登場したインターネットラジオ番組「ナヌン・コムスダ」(私はセコいやつだ)が世の気流を変えた。「ナヌン・コムスダ」は政治の個人化、私事化、感情化の流れを強化した。イ・ジュンヒョン氏によると、保守勢力の権力乱用と不正に対する「ナヌン・コムスダ」の絶妙な嘲弄と辛らつな風刺が、大衆の新たな政治参加を引きだし、盧武鉉の死去後の進歩陣営に広まっていた哀悼の感情を結集させた。そこで登場したのが文在寅であり、彼のファンダムだ。

 文ファンダムの勢いは猛烈だった。「透徹したファンの思いと強い使命感で武装したモバイル戦士たちが、民主党の党員掲示板とオンライン・コミュニティを席巻し、党の世論を動かした。2012年の文在寅の民主党大統領候補への選出、新政治民主連合の期間中の親文在寅派と非文在寅派の派閥間対立、文在寅とパク・チウォンが党の実権をめぐり激突した2015年の全党大会と2016年の分党に至る節目ごとに、ファンらが繰り広げた活躍は、目を見張るものだった。オンライン掲示物の宣伝、掲示板への集中コメント投稿や、特定の人物を狙ったメッセージ爆弾(大量のショートメッセージを送りつける手法)が武器だった」(イ・セヨン)。メッセージ爆弾について文在寅前大統領は、「少なくとも政治家であればそのようなメッセージを受けることも経験してみなければ」と言ったり、「競争を興味深くする調味料のようなもの」だと言って擁護した。大統領就任後、文在寅前大統領は、ろうそく集会で提起され大統領弾劾で表出した、積弊清算の要請に積極的に呼応した。少数与党・多数野党だったことを考慮すれば、この選択は弾劾連合を継続する連合政治ではなく、ファンダム政治を通じた正面突破に向かわざるをえなかった。文ファンダムは前衛部隊を自任し、味方側には守護天使、対立側には機動打撃部隊のように行動した。

 文ファンダムは朴ファンダムよりさらに進化した。「イニ(文在寅の愛称)がやりたいことは全部やれ」という言葉や、イニグッズなどから分かるように、感性ブランド化した。自発的な募金で文在寅前大統領の誕生日祝いの広告を、2018年にはニューヨークのタイムズ・スクエアに、2019年にはソウル駅の屋外電光掲示板に、そして2020年には光州(クァンジュ)の地下鉄の駅の広告看板に掲載した。「あなたを守ることを誓います。私たちを信じて」「あなたとともに作る未来に、ただの一度も背を向けたことはない」「明るい月は私たちの胸にある一途な思い」。ファンダムはハンギョレ・京郷新聞、オーマイニュースを「ハンギョンオ」と呼び、メディア積弊と規定し集団攻撃をしたりもした。ハンギョレ21の表紙になった文在寅大統領の写真と大統領夫人の呼称を問題視し、ハンギョレの新聞に対する絶読・不買運動も展開した。崇拝と敵対の排他的なファンダムだった。

 ファンダム政治は2022年の大統領選挙と2024年の総選挙を経て、いまやピークに達したように思える。その実状と今後の展望が気になる。

イ・チョルヒ|放送メディアで政治評論を経て政界入り、第20代国会議員、文在寅政権最後の政務首席を務めた。2020年『大統領弾劾の決定因子の分析:盧武鉉大統領と朴槿恵大統領の弾劾過程の比較」で政治学博士号を取得。『第1人者を作った参謀たち』『政治は人生を変えられるか』などの書著を出し、『進歩はどのように多数派になるのか』(クリスティ・アンダーセン著、未邦訳)などの訳書がある。韓国政治がなぜこのように悪くなったのか、何が問題なのか、どうすれば良くなるのかなどについて率直に語る。

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