米国はなぜ強いのか イタリアで世界の「覇権」を考える

AI要約

イタリア南部のトゥーリ刑務所には共産党創設者のアントニオ・グラムシが収監され、獄中で社会、政治の構造を分析した。

グラムシの覇権の概念は米国の国際政治学で取り入れられ、現在の国際政治の理解に役立っている。

ミドルパワー外交を重視するイタリアの政治学者らは、国際秩序の安定には大国と小国のバランスが重要だと主張している。

米国はなぜ強いのか イタリアで世界の「覇権」を考える

 6月に主要7カ国首脳会議(G7サミット)が開催されたイタリア南部プーリア州バーリから鉄道で約1時間。同州トゥーリは、サクランボの名産地として知られる人口約1万3000人の地方都市だ。その中心部にあるトゥーリ刑務所は1895年に完成したとされ、現在も約160人の囚人を収容する。

 刑務所の高い石壁には、かつてここに収監された、ある思想家の名を記すプレートが飾られている。

 イタリア共産党の創設者の一人、アントニオ・グラムシ(1891~1937年)。ムソリーニのファシスト政権と対立し、1926年に逮捕された。トゥーリ刑務所で28年から33年までを過ごし、その間に執筆した「獄中ノート」は独自の視点で社会、政治の構造を分析している。

 当時のグラムシの問題意識は、マルクスが予想した革命や社会主義への移行が、なぜロシアで起きたのに、西欧で実現しないのかという点にあった。グラムシがたどり着いたのが、「同意による覇権」という考え方だった。

 ロシア革命が起きる前のロシアと比べ、より成熟した西欧の社会では、支配層の倫理観や政治、文化的な価値が社会に広く受け入れられ、人々の間に支配への一定程度の同意があった。その分、力ずくの革命は起きにくく、秩序は長持ちする。グラムシはそう考えた。強制力だけでなく同意に基づく秩序があり、それが市民社会の中でイデオロギーや道徳などを通して強化される、と分析した。

 この覇権という考え方が、まったく異なる形で発展したのが米国だった。米国では70年代以降、「覇権安定論」と呼ばれる国際政治学の学説が影響力を持つようになった。英国は19世紀、海軍力や植民地支配を基に覇権を確立したが、20世紀には米国が取って代わった。米国の軍事力や財力、通貨や金融の力が世界の安定に必要だと議論された。

 1980年代以降、米国の国力が相対的に低下すると、今度は米国による覇権もやがて崩壊するのではないかと予想された。だが、そのような事態は起きていない。米国を中心に築かれた国際組織や制度が、米国の衰退に関係なく、世界秩序の安定に貢献しているからだと考えられている。

 そしてグラムシの覇権の概念を国際政治学に取り入れたのが、カナダの政治学者ロバート・コックス(1926~2018年)だ。民主主義や自由貿易などのイデオロギーや文化が、覇権国である米国を中心とする秩序への他国の同意を促し、安定させると論じた。コックスを中心とする研究者は「ネオ・グラムシアン」と呼ばれるようになる。

 実際、G7サミットの取材では、あらためて、米国による覇権の存在を実感させられた。ウクライナに侵攻するロシアと、事実上、それを支援する中国などの権威主義国家に対し、民主主義国が結束して制裁強化を決めたのが今回のサミットだった。

 民主主義国家、権威主義国家の区分は米国のイデオロギーとも重なる。凍結したロシア資産の運用利益の活用など、主要な制裁の決定も、米国主導で進められた。中国の金融機関への制裁一つをとっても、米国が誇る金融ネットワークがなければ、効果を上げられない。米国以外の6カ国は、米国を中心とする国際秩序から恩恵を受け、強制ではなく同意の下に米国を支持している。米国の覇権安定論やグラムシの思想は、現在の国際政治を理解する一助となっている。

 一方、イタリアには、グラムシの覇権論や米国の覇権安定論に懐疑的な国際政治学者もいる。「ミドルパワー外交・理論と実践」(2017年)の著者で、ミラノカトリック大のマルコ・バリジ非常勤教授もその一人だ。バリジ氏は「グラムシの理論は支配者と従属者の二つの層を対象とする。しかし国際秩序の安定のために重要なのは三つの層の中層に当たるミドルパワーの役割です」と指摘する。

 バリジ氏は、「支配的大国」である米国、中国、ロシアと、発展途上国などとの中間に位置する日本やインド、ブラジル、フランス、ドイツなどの国々が、外交の力で大国と小国のバランスを取り、緩衝材となることで国際秩序は安定すると主張する。

 バリジ氏が着想を得たのはイタリアの思想家、ジョバンニ・ボテロ(1544~1617年)だ。政治と倫理を切り離した権謀術数の書として知られる「君主論」を著したイタリアの思想家、ニッコロ・マキャベリ(1469~1527年)の考え方に反対し、秩序における道徳や宗教の力を重視した。

 「ボテロは欧州の政治を安定させるには穏健な均衡点が必要だと考えました。それを担う存在として、良い政府を持ち、外国の支援がなくても自国を守ることができ、他国を攻撃しない国をミドルパワー国と定義しました」とバリジ氏は指摘する。

 そしてバリジ氏が今、アジアの安定のために期待するのが日本だという。「米国が内向きになる中、日本は米国追従ではなく、より独立した外交を目指すべきです」と語る。多様な政治思想に現代的意味を見いだす試みが続く。

 グラムシのその後だが、トゥーリ刑務所で体調を悪化させ、ローマの療養所へ移った後、1937年4月、脳内出血でこの世を去った。だがその思想は社会科学全般に大きな影響を与え、国際政治学の世界では、ネオ・グラムシアンたちに引き継がれている。

 90年、そして400年以上前に生きた人たちが頭に描いた世界が、遠い未来の現代に、さまざまに解釈され、議論を深める。そこに、理論や思想の面白さがある。トゥーリ刑務所の石壁のプレートは、そんな人間の営みの価値を私たちに伝える。【欧州総局長・宮川裕章】