スピーディーかつ効率的に! 魔女裁判のコスト&ベネフィットは厳密にマネジメントされていた

AI要約

近世初期のヨーロッパでは、魔女裁判の判決と処刑が迅速に行われていた。処刑までの期間は1~2週間から2ヵ月以内で、被告の年齢は中年から高齢者が多かった。

17世紀前半の魔女狩りのピークでは、裁判所が数多くの裁判を抱えており、迅速な判決が求められていた。処刑の際には罪状が朗読され、聴罪司祭の説教が行われ、見物人の祈りが捧げられた。

処刑の際には、剣による斬首や生きたままの火刑が行われ、失敗が起きると観衆の怒りや暴動が起こることもあった。キリスト教の教えに基づき、悔悛した被告の魂は神の国へ迎えられると信じられていた。

スピーディーかつ効率的に! 魔女裁判のコスト&ベネフィットは厳密にマネジメントされていた

ヨーロッパの歴史の「闇」を見つめる『拷問と処刑の西洋史』の著者・浜本隆志氏が、中世に猛威を振るった「魔女裁判」の全プロセスを明かす第4弾。

「収監」「尋問」「判定」に続く最終フェーズは、いよいよ魔女の「判決&処刑」について!

近世初期における魔女狩りの時代では、自由刑(拘束して矯正する刑)がまだ確立していなかったので、ヨーロッパには矯正を目的とした大規模な刑務所施設はほとんど存在しなかった。さらに魔女狩りが多発すると、すぐに収監所は一杯になった。そのために、魔女裁判は通常の裁判より速やかに判決を出す必要があった。

では逮捕ないしは拘束から、処刑までどれくらいの期間が費やされていたのだろうか。

H-J・ヴォルフの『魔女裁判史』から、ケルン選帝侯領ジークブルクの処刑リストの一部を見てみると、魔女裁判の審理はすぐさま始められ、1~2週間から2ヵ月以内に結審し、処刑が下されるのも早い。なお被告の年齢は、中年から高齢者が多い。

17世紀前半は魔女狩りのピークであり、裁判所は多数の裁判を抱えていた。それが長引けば、収監中の被告の経費もかさみ、さらに収監場所が慢性的に不足するので、判決を早く出さねばならない事情があった。当局も税金の節約のため、スピード裁判をせざるをえなかった。

通常裁判での処刑について、3人の「魔女」の処刑例をここで採り上げておきたいと思う。

1687年にドイツのアーレントゼーで、ズザンネ、イルゼ、カタリーナという3人の女性が魔女として訴えられた(逮捕月日不明)。罪状は悪魔と交わり、サバト〔魔女の集会〕を訪問し、人間と動物へ危害を加えたという魔女裁判の典型例であるが、かの女たちは拷問の後自白したので、裁判所での判決は厳しく、ズザンネとイルゼは斬首、カタリーナは生きたままの火刑であった。

8月5日に処刑されたが、その状況がB・E・ケーニヒ『魔女狩りの歴史』のなかで、次のように記録されている。

「1. ズザンネ、お前はイルザーベンから魔術と妖術を伝授されたのだな。「はい!」

2. イルゼ、お前は母から妖術を授けられたのだな。「はい!」

3. カタリーナ、お前は娘のイルゼに術を授けたのだな。「はい!」

それからナタリウス・アントン・ヴェルネシウスが立ち上がり、判決を大声で読み上げた。ただちに刑吏がテーブルの脇にきて、ズザンネとイルゼの斬首が万一うまくいかない場合に、自分の身の安全を願った。裁判官は誰かがさらに告訴することがあれば申し出よ、という通達を述べた。

それに続いて裁判官が裁判棒を折り、テーブルと椅子が倒された。その後、行列が町を通って処刑場へ向かっていった。動員された部隊(軍隊装備)が先導し、3人のあわれな死刑囚のそれぞれには、2人の聴罪司祭が同行した。その横に刑吏の助手がかの女たちの綱を引いて続き、防備を固める6人の市民がまわりを取り囲んだ。さらに多数の人びとが行列を護るように同行した。

このような警備態勢で代わる代わる祈り、説教をし、歌をうたいながら、町中を通っていった。ゼーハウス門の前の処刑場には、人垣の輪ができた。「わが主はわれにあり」という歌が全部終わるまでのあいだ、最初のズザンネがこの輪に取り囲まれていた。それからかの女の首が刎ねられると、人びとが「聖霊に願う」を歌った。

次に同じ輪のなかにいたイルゼが、その歌がうたわれると連れてこられ、首を刎ねられた。とうとう3番目にカタリーナが、たえず歌声が続くなか、後ろ向きに焚き木の山のところへ引っ張ってこられたが、体と首が鎖でくくられている。かの女の顔色は土気色となり、顔は腫れていた。それからすぐに、焚き木の山に火がつけられ、かの女の体が燃えて灰になってしまうまで、聖職者、学校の生徒たち、全見物人の歌声が続いた。

このように処刑の前に罪状が朗読され、聴罪司祭の説教、懺悔の言葉が披露される。すると見物人のなかには同情して、祈禱する者も多かった。キリスト教では、悔悛した被告の魂は神の国へ迎えられるとされたからである。処刑によって人びとは、犯罪による神への冒瀆が解消されたと解釈し、こうして町の平和と秩序が回復するのである。その反対に悔悛しないと、見物人は態度を硬化させ、永劫の罪を負ったものに対してののしりを浴びせた。

「できるだけ迅速に死ねるのは神の情け」ということわざがあるように、剣による処刑の失敗は、死刑囚を苦しませることになったので、観衆は処刑人に怒りをぶつけ、暴動が起きることもあった。そのため刑吏は身の安全を願ったのである」。