「平和の祭典」はどこへ、パリ五輪中にウクライナとイスラエルが大攻勢、北京五輪ではプーチンも侵攻を自重したのに

AI要約

パリ夏季オリンピックが終了し、多くのアスリートが参加し、競い合った17日間が過ぎた。

オリンピック創設者の考えや歴史を振り返りながら、平和の祭典としての意義を考える。

過去の例を挙げながら、オリンピック期間中の平和の重要性を示唆する。

 フランス時間の8月11日(日本時間8月12日)、パリ夏季オリンピックが、17日間の熱戦に幕を閉じた。393人の日本人選手を含め、世界中から結集した約1万500人のアスリートたちの健闘を称えたい。

 当然ながら、金・銀・銅のメダルを取れた選手、取れなかった選手がいた。だが、オリンピックの創設者であるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は、「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」という名言を残している。日々のテレビ中継を観ながら、メダルを取り損ねた選手にも熱い拍手を送ったのは、私だけではあるまい。

■ 「大会開催中は休戦期間」がそもそもの原則ではなかったか

 だがその一方で、私は日々、歯がゆい思いを禁じ得なかった。

 そもそもクーベルタン男爵が、1896年にギリシャのアテネで第1回オリンピックを始めたのは、古代ギリシャのしきたりを復興させるためだった。それは、4年に一度のオリンピック期間中は、戦争をしないということだ。

 オリンピック憲章の前文とも言える「オリンピズムの根本原則」の2番目には、こう記されている。

 <オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである>

 第2条4項にもこうある。

 <スポーツを人類に役立てる努力において、権限を有する公的または私的な組織および行政機関と協力し、その努力により平和を推進する>

 こうしたことから、オリンピックは「平和の祭典」というニックネームで呼ばれているのだ。

■ 2年前の冬季五輪、プーチンに釘を刺した習近平

 パリオリンピックの前のオリンピックは、2022年2月4日から20日まで、中国の首都・北京で行われた。この冬季オリンピックの開会式に駆けつけたロシアのウラジーミル・プーチン大統領に向かって、主催者を代表して中国の習近平国家主席は、強い調子で警告した。

 「北京オリンピックという平和の祭典の期間中、世界は平和であるべきだ。決して戦争が起こってはならない」

 プーチン大統領は、この言葉に気圧されたかのように、北京オリンピック期間中のウクライナ侵攻を自重した。プーチン大統領が「宣戦布告」に等しい国民向けテレビ演説を行ったのは、北京オリンピックが閉幕した翌日の2月21日。実際にウクライナへ侵攻を始めたのは、それから3日後の24日のことだった。

 ともあれ、「オリンピック期間中の平和」は保たれたのである。それが、今回はどうだったろうか?