【ルポ】戦雲漂うイスラエル、悲しい沈黙のヨルダン川西岸地区(2)

AI要約

第2次インティファーダ期間と現在のラマラの違いを振り返ると、政治の変化や政府の沈黙、パレスチナ自治政府の責任の欠如が浮き彫りになる。

ラマラの街は沈黙に包まれ、一方テルアビブでは様々な声が集結し、熱い議論が繰り広げられている。

テルアビブとラマラ、それぞれの街の現状が対照的に描かれ、緊張が高まる中での今後の展望に注目が集まる。

【ルポ】戦雲漂うイスラエル、悲しい沈黙のヨルダン川西岸地区(2)

(1から続く)

■ラマラはなぜ沈黙するのか

 私は2000年から5年間続いた第2次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)を取材した。主にラマラで取材活動を行い、長い時間を過ごした。イスラエルの占領に反対して石を投げる子どもたちと、イスラエル軍の銃撃で亡くなった子どもを抱き、声を殺して涙を流していた母親の苦しみを、20年が過ぎた今でも鮮明に覚えている。

 2024年8月のラマラは静かだった。石を投げる子どもどころか、小規模のデモすらなかった。「あなたが経験した第2次インティファーダ期間と現在のラマラは全く違います。その時はアラファト議長が自治政府を率い、バルグーティがファタハ(パレスチナ自治政府の主流政党)の中心でした」。世界中がパレスチナ問題で大騒ぎなのに、ラマラはなぜこんなに静かなのか、なぜ石を投げる子どもたちがいないのかを尋ねると、パレスチナのニュースエージェンシー「パルモメンタ」を運営するアフマド記者はパレスチナの政界の変化について言及した。パレスチナの政治そのものを象徴したアラファト議長は2004年に亡くなった。ハマスと競争関係にあるファタハの中心人物であり、第2次インティファーダを主導したマルワン・バルグーティ氏は、2002年にイスラエル軍に逮捕され、終身刑を言い渡されて収監されている。大統領執務室のあるムカタは、もはや尊敬の対象ではないように見えた。

 昨年の戦争以降、ガザ地区で4万人にのぼる民間人が死亡したにもかかわらず、パレスチナ自治政府はこれに対する立場すら表明していない。「私たちも機会があるたびに同じ質問を投げかけています。私たちの土地で起きていることについて、国民に責任を負わなければならない政府の立場がないなんて、ありえないと問い詰めます。しかし、答えは返ってきませんでした」。アフマド記者は現状況に対するパレスチナ自治政府の立場は「沈黙」だと語った。8月6日、レバノン国境地域でイスラエルとヒズボラの間で衝突があり、ヨルダン川西岸地区北の都市ジェニンではイスラエルの軍事作戦で民間人が死亡した。ジェニンの現地特派員とつなぐ準備をしながら、アフマドが語った。「ジェニンが第2のガザになるのではないかと、私たちは皆心配しています」

 重い沈黙に包まれたラマラの街とは違って、テルアビブは熱い。戦争を支持する人々だけでなく、戦争に反対して共存を主張する人たち、ベンジャミン・ネタニヤフ首相の辞任を要求する人たち、人質の早期解放と帰還を求める人たちなど、様々な主張が独自にまたは連帯して声をあげている。毎週土曜日、テルアビブの中心街にはあらゆる声が集結する。イランの報復攻撃予告とヨルダン川西岸地区での衝突で緊張が高まっている今、今週土曜日のテルアビブはどんな姿なのか気になる。

テルアビブ・ラマラ/カン・ギョンランPD(お問い合わせ japan@hani.co.kr )