# 樺太

サハリンに廃墟として残る戦前の日本製紙工場
2時間前

サハリンに廃墟として残る戦前の日本製紙工場

1945年8月8日に旧ソ連が日本に宣戦布告。北方から破竹の勢いで日本領に攻め込んできた。その1つに樺太、サハリンがある。サハリンは1945年8月、太平洋戦争で最後の市街戦が行われたところでもある。広大なサハリン島の北緯50度から以南は日本領で、約40万人の人口を擁し、日本企業も多

世界で2点の装飾品「ホホチリ」 ドイツからアイヌ民族博物館に寄託
2024.08.24

世界で2点の装飾品「ホホチリ」 ドイツからアイヌ民族博物館に寄託

 世界に数点しかないと言われるアイヌの装飾品「ホホチリ」が23日、ドイツのラウテンシュトラウフ・ヨースト博物館から国立アイヌ民族博物館(北海道白老町)に寄託された。世界でも確認されているのは北海道博物館の1点を含めた2例しかなく、国立アイヌ民族博物館は「人生儀礼の一環として使われたが、残存例は

終戦直後の樺太の悲劇 「九人の乙女」命日に慰霊 北海道稚内市
2024.08.20

終戦直後の樺太の悲劇 「九人の乙女」命日に慰霊 北海道稚内市

 終戦間もない南樺太(現ロシア・サハリン南部)の真岡郵便局で、旧ソ連軍の陵辱を免れるため、自ら命を絶った9人の女性電話交換手の命日の20日、北海道稚内市の稚内総合文化センターで今年も平和祈念祭が営まれた。 79年前、南樺太西岸の真岡(現ホルムスク)では終戦を伝える「玉音放送」の5

ソ連に取り残された日本人「両親は帰国せず死んだ」 幸せ築いたウクライナで2度目の戦争、命がけの出国と決断 #戦争の記憶
2024.08.17

ソ連に取り残された日本人「両親は帰国せず死んだ」 幸せ築いたウクライナで2度目の戦争、命がけの出国と決断 #戦争の記憶

戦争で樺太(ロシア極東のサハリン)に取り残されたまま、失意のうちに亡くなった両親の故郷を訪ねたい。2024年8月、降籏英捷さん(80)はその思いを胸に、長野県安曇野市に向かっていた。「両親は戦後、ずっと日本に帰りたいと強く思っていました。その夢を自分たち子どもが叶えたいです」

79年前に樺太に取り残されウクライナでも戦争に巻き込まれた男性 両親の故郷・信州へ初めての旅
2024.08.15

79年前に樺太に取り残されウクライナでも戦争に巻き込まれた男性 両親の故郷・信州へ初めての旅

79年前、日本の敗戦により当時の樺太(からふと)=現在のロシア領サハリンに取り残され、戦後に移り住んだウクライナでも、再び戦争に巻き込まれた男性がいます。この夏、両親のふるさと・長野県安曇野市への初めての旅を取材しました。今月(8月)初め、北海道の空港から長野県へと

戦後、日本とソ連の家族の間で揺れ動いた「シベリア民間抑留者」の苦悩 二つの国に翻弄された男女を描く『脱露』
2024.08.15

戦後、日本とソ連の家族の間で揺れ動いた「シベリア民間抑留者」の苦悩 二つの国に翻弄された男女を描く『脱露』

第二次世界大戦後、ソ連軍に占領された南樺太では多くの日本人市民が不当逮捕・強制連行され、シベリアの地に留め置かれた。この「シベリア民間人抑留」によって、当事者だけでなく彼らの家族までもが日ソ両国の政治的な思惑に翻弄される。歴史に長らく埋もれていた彼らの激動の人生を8年かけて取材し

NPOサハリン協会、札幌で総会 国超えてつながれる場に
2024.05.12

NPOサハリン協会、札幌で総会 国超えてつながれる場に

サハリン残留邦人が国に逆転勝訴 一時金支給認める 札幌高裁
2024.05.10

サハリン残留邦人が国に逆転勝訴 一時金支給認める 札幌高裁