帝京大時代に学生コーチを志願…現役引退のラグビー元日本代表・堀江翔太の「裏方を厭わなかった」人生

AI要約

埼玉パナソニックワイルドナイツのキャプテンである38歳の堀江翔太が、逆転トライを狙ってプレーするも幻となる。

堀江はプレーを終えて、チーム全体を讃え、これまでの実績に誇りを持っている。

若かりし頃、学生コーチとしてチームづくりに尽力し、次第にその制度が大学ラグビーに定着していった。

帝京大時代に学生コーチを志願…現役引退のラグビー元日本代表・堀江翔太の「裏方を厭わなかった」人生

試合終了が近づくなか、何度も味方をサポートして、何度もパスをさばいた。最後の最後に、逆転トライをもたらしたかに映った。

5月26日、東京・国立競技場。国内リーグワンの決勝で、埼玉パナソニックワイルドナイツの16番をつけていたのは38歳の堀江翔太だった。今季限りで引退するこの人は、この日も人のためにプレーしていた。

6-10と4点差を追う後半開始からピッチに入り、的確に指示を飛ばして防御ラインに微修正を加えた。さらに、20-24で迎えた最終局面でも持ち前の技術を発揮。ハーフウェー付近で相手にタックルを受けながら味方選手にパス。その味方選手がトライした直後、ビデオ判定が起こった。堀江のパスが、前に投げるスローフォワードの反則と判定され、逆転トライは幻と消えた。

直後の相手ボールのスクラムを押し、ペナルティーキックを獲得も、逆転できないままノーサイドを迎えた。

今季のワイルドナイツはレギュラーシーズン、プレーオフ準決勝まで全勝だった。5万人超の観衆を前に、堀江は仲間を讃えた。

「唯一、いっこ、負けたのが最後(だけ)で…。いままで勝ち続けたのは誇りでありますし、メンバーも、(試合に)出られないメンバーも、胸を張っていいと思います」

’13年にはオーストラリアのレベルズに入り、日本人フォワードとして初めて国際リーグのスーパーラグビーでプレー。日本代表としては4度のワールドカップに出場し、’19年の日本大会では初の8強進出を果たした。

その間はずっと、人のためにプレーした。人のために動いた。

まだ日本代表の選手として有名になるずっと前のことだ。帝京大の3年生だった’06年度、最上級生になってからのチームづくりについて話し合っていた。堀江は自ら学生コーチをやると、申し出たのだ。

学生コーチとは、帝京大がその時代から採り入れ始めていた新しい制度。現役選手の一部が首脳陣に入り、部員100人超の大所帯のチームへ目指すプレーやスキルを隅々まで浸透させるのが狙いだ。

いまでは’09年度以降の大学選手権9連覇、昨年度までの3連覇を支えるスキームのひとつとして知られ、学生コーチをしながらレギュラーとして活躍する選手も定期的に出現する。

しかし当時は、導入の初期段階だった。就任してしまえば、主力選手として活躍することをあきらめ、「裏方専念」を意味するようにも映る役回りだった。やりたがる部員はなかなか現れなかった。そんななか、1年時から主力格だった堀江が「やる」と言い出したのである。

結局は周りに止められ、主将として選手権4強入り。この国を代表するプレーヤーになってから、青春時代のジャッジについて堀江はこう振り返る。

「『誰がすんねん』となって、『別にいいかな』みたいな感じで。僕がもしコーチになっても、(卒業後に)社会人でラグビーをやって(ブランクを)取り返せるくらい自分のプレーには自信があった。その時は僕、結構、強気やったんで。だから、やろうか? って」