不死鳥のスタジアム、マノワール競技場 100年ぶりのパリ五輪(中)

AI要約

100年前のパリ五輪でメイン会場として開会式などが行われたのがイブ・ドゥ・マノワール競技場だ。

競技場はパリ市外のコロンブにあり、100年たった今も健在。歴史的な建造物として注目される。

競技場の周辺は治安の悪い場所や貧困層が多く、華やかなパリとは異なる一面を持つ。フランスの多様性も象徴している。

 100年前のパリ五輪でメイン会場として開会式などが行われたのがイブ・ドゥ・マノワール競技場だ。

 1972年にパリ市内に、サッカーの強豪パリ・サンジェルマンの本拠地でもあるパルク・デ・プランス競技場が完成するまで、フランス・スポーツ界を象徴する競技場だった。今夏はホッケー会場として使用される。

 五輪開催に向けた改修では100年前と同じ色合いに戻す作業が行われた。歴史教師で、マノワール競技場を研究しているミカエル・デレピーヌさんは「素晴らしい改修。72年以降は忘れられていた感じもあったのでうれしい」と話す。

 競技場はパリ郊外のコロンブにあるが、ここに建てられたのは偶然だった。当初は市内に建設が計画されたものの、うまくいかず断念。「(場所が変更され)建築家は設計図を変えながら低予算でつくった。当初の計画よりも少し小さくシンプルになった」

 そんな経緯で生まれたスタジアムだが100年がたった今も健在。デレピーヌさんは「まるで不死鳥のような存在だ」と表現する。30年代から、バンセンヌの森などパリ市内にスタジアムを建設する計画は何度も浮上したが、その都度立ち消えになった。結果としてマノワール競技場は国立競技場のような形で使われ続けた。「生まれた時は病弱だった子どもが、気がつけば100歳になったという感じかもしれない」

 38年にはサッカー・ワールドカップ(W杯)の決勝舞台になるなどビッグイベントが開催された。ラグビーの試合も多く行われ、ファンが多い南仏から人が訪れ、サッカーとなれば欧州各地からサポーターがここを目指した。「パリ市ではなく郊外だが、みんなが集まる場所になった。(豪華でお金持ちが集う)ベルサイユと対極的な場所だった」とデレピーヌさんは語る。

 競技場のあるコロンブには治安の悪い場所や貧困層が多いところもある。華やかな観光名所パリとは全く雰囲気が違う。「フランスは一つではない。多様性という側面も見てほしい」。デレピーヌさんは、五輪がこの場所で開催される意味は歴史的なものだけではないと強調する。

 競技場の柱や屋根は建設時のまま。99年にフランス国内であった嵐の際には多くの被害が出たが無事だった。当時の建築技術の高さが示されており、今夏の大会後もスタジアムは引き続き利用される。

 98年サッカーW杯の主会場としてパリ郊外サンドニに建設されたフランス競技場が、現在は「国立競技場」の役目を担う。三つの競技場がそろって使用される今夏の五輪はフランス・スポーツの100年の歴史を語り継ぐ機会にもなる。