【伝説の8番】5日目・貴ノ花に敗れた翌日、大鵬が現役引退「五月晴れのような心境だ。土俵に思い残すことは何もない」…1971年夏場所(下)

AI要約

大相撲の大横綱・大鵬が敗れたことを受けて現役引退を決意し、引退会見を開いた様子が報じられた。

引退理由や誇りに思うこと、そして貴ノ花や柏戸との関係性について触れられた引退会見の様子が紹介された。

新旧の横綱たちの交代劇や相撲界の歴史の繋がりについて言及されている。

【伝説の8番】5日目・貴ノ花に敗れた翌日、大鵬が現役引退「五月晴れのような心境だ。土俵に思い残すことは何もない」…1971年夏場所(下)

 1971年5月場所5日目に、貴ノ花に敗れ、2敗目を喫した昭和の大横綱・大鵬が翌5月14日、現役引退を発表した。スポーツ報知は15日付1面で「“大横綱”大鵬土俵を去る」という見出しで報じた。大鵬は14日午後6時半、東京・両国の二所ノ関部屋で引退会見を開いた。紋付き羽織はかま姿で応じた。

 ―今の気持ちは。

 「肩の荷を降ろしたような感じで、やれやれだ。やるだけのことはやった。五月晴れのような心境だ。土俵に思い残すことは何もない。今後とも相撲道発展のために尽くしたい」

 ―長い土俵生活で一番誇りに思うことは。

 「32回の優勝記録もあるが、むしろ6連覇を2度に渡って達成したことだ」

 ―引退を決意したのは。

 「昨夜、床に入ってからだ。それより前に夕食を食べる時、チビ(長女・喜美ちゃん)にお父さんやめていいかいといったら『ウン』と言ってくれた」

 それまで淡々と応じていた大鵬だったが目に突然涙があふれ、あわててタオルを顔に押し当てた。

 大鵬に引導を渡した形となった貴ノ花は「きのう勝たせてもらったあとだからショックだ。しかし、大横綱の最後の相手ををつとめられたのは力士冥利に尽きる。1968年の九州場所で新入幕した時、初めて稽古をつけてもらったが、あの時はあまりに強いという印象だった」と、しみじみと話した。

 大鵬とともに「柏鵬時代」を築いた元横綱・柏戸の鏡山親方が5月15日付スポーツ報知に「わが生涯の友」のタイトルで手記を寄せた。「引退に踏み切らせたものは、やはり貴ノ花との一番だったかもしれない。さぞショックだったことだったろう。その反面、さっぱりとした思いもあるのではないか。次の相撲界を背負って立つヒーローの出現に、喜びすらあったかもしれない」と大鵬の心中を察した。

 まさに、新旧ヒーローの交代劇をだれもが実感したのだった。その後、貴ノ花は千代の富士に敗れて引退を決意。その千代の富士は貴ノ花の次男、貴花田(後の横綱・貴乃花)に負け、土俵を去った。相撲界で、歴史は繰り返されている。(久浦 真一)=おわり=

 ◇大鵬 幸喜(たいほう・こうき)本名・納谷幸喜。1940年5月29日、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ。56年9月場所初土俵。60年1月場所、新入幕。61年秋場所後に第48代横綱に昇進。71年5月場所で引退。優勝32回。通算成績は872勝182敗136休。引退後は一代年寄「大鵬」として部屋を興し、関脇・巨砲らを育てた。2013年1月19日、72歳で死去。現役時代は187センチ、153キロ。