【大学野球】就活に有利だから甲南大に進んだ岡本駿がNPB入りを目指す剛腕に成長するまで

AI要約

岡本駿投手が甲南大学からNPBのドラフト指名待ちの最後のリーグ戦に向けて意気込みを語る。

野手出身から投手に転向し、短期間でプロ注目を集める成長を遂げた経緯。

挫折から始まった投手転向の道を経て、自らの力を全て出してプロへの道を切り開こうとする姿勢。

【大学野球】就活に有利だから甲南大に進んだ岡本駿がNPB入りを目指す剛腕に成長するまで

 甲南大硬式野球部から初となるNPBのドラフト指名を待つ岡本駿投手(4年)が自身最後のリーグ戦に向けて意気込みを語った。大学から本格的に投手を始め、4年足らずでプロに注目されるまで成長した。

 チームのために腕を振り続け、運命の日を待つ。甲南大・岡本が、残り3節となったリーグ戦での決意を表明した。ドラフト会議での指名を心待ちにする絶対的エースは、「プロに行けるか不安なところもあるけど、リーグ戦で持っている力を全て出したい」と、目の前の一戦に集中する。

 全てのきっかけは〝野手失格〟だった。徳島・城南高では「4番・遊撃」として出場。甲南大・谷口純司監督(61)は、186センチの大型内野手を一目見ようと、徳島まで赴いた。だが、その第一印象は「絶対にショートじゃあかんわ」と、芳しくなかった。動きの粗さが目についた。それでも、左打者として「打撃が良ければ取ろうかな」と、スポーツ推薦の候補選手として、3年夏の練習会に招待した。

 当日、指揮官の目を引いたのは、打撃での飛距離…ではなく、まさかのキャッチボール。「いきなり、えげつない球を投げた」。長い手足から繰り出される“野手離れ”したボールに衝撃を受けた。「これはもう、投手や。夢をかけよう」。投手転向を条件として、獲得を即決した。

 岡本は物事を深く考えるタイプではない。「就職が強いし、甲南でいいかな」と、オファーをあっさりと承諾した。だが、投手経験はほとんどない。転向当初は、地肩の強さで球速は140キロ近くを計測したものの、制球と変化球に苦戦。「最初は、どうなるかなと思った」と、不安な船出を振り返った。

 1年春からリーグ戦で起用した谷口監督は「フォームや体力面を含め、初めは全然、投手になっていなかった」と苦笑い。5回以降に狙い球を痛打されることが多く、思うように白星を重ねられなかった。

 それでも、野手出身ならではの性格が右腕を成長させた。「投手は助言を受け入れない」と指揮官。孤独な立ち位置であるがゆえに、「自分の考えが絶対」とのタイプが多いと分析する。だが、「彼は真逆」だという。制球力アップへの意識や変化球の握りなど、「分からないことがあれば、教えてもらっていた」と、先輩を質問攻めにした。「うまく吸収しながら、自分のものにできた」と岡本。指揮官もお墨付きの“投手らしからぬ素直さ”を生かし、転向から2年以内で6球種を自在に操れる制球力を身につけた。

 その後、走り込みによってスタミナ面の課題も克服。3年秋の大体大戦では、8回まで無安打無得点投球を披露した。そのころから徐々にスカウトが右腕をマーク。甲南大初のNPB選手誕生が現実味を帯びてきた。

 指揮官は「甲南大学として、念願のプロ第1号になってほしい」と懇願。7日にプロ志望届を提出した岡本も「そこは意識しています。自分が新たな道をつくれるのは名誉なこと」と言葉に力を込めた。4年前、就職率が高いという理由で、進路を決めた最速149キロ右腕。夢の扉を開こうとしている。

(南部 俊太)

 ◆岡本駿(おかもと・しゅん)2002年6月12日、徳島・勝浦町生まれ。22歳。横瀬小2年から勝浦タイガーススポーツ少年団で野球を始め、勝浦中では軟式野球部でプレー。城南高では1年秋からベンチ入りし、2年秋から遊撃手。3年夏は独自大会で8強。甲子園出場はなし。甲南大2年秋に2部西リーグでベストナインを受賞。変化球はスライダー、カットボール、フォーク、チェンジアップ、ツーシーム。好きな言葉は「笑って損した者なし」。