部員3人…廃部の危機乗り越えた水球部 強豪相手に健闘「集大成見せられた」

AI要約

国民スポーツ大会(国スポ)の会期前競技で、水球少年男子が佐賀市のSAGAアクアで行われている。強豪校との試合で健闘するも、決勝トーナメント進出は叶わず。

廃部の危機を乗り越え、佐賀東高水球部が国スポへの出場を果たした経緯。

指導者や選手たちの熱意と努力により、佐賀東高水球部は厳しい練習を重ねて大会に臨んだ。

部員3人…廃部の危機乗り越えた水球部 強豪相手に健闘「集大成見せられた」

 国民スポーツ大会(国スポ)の会期前競技で、水球少年男子が佐賀市のSAGAアクアで行われている。9日の予選リーグには、県内でただ一つ水球部がある佐賀東高が県代表として出場。地元の声援を受け、強豪の山口県と京都府の代表を相手に健闘したが、決勝トーナメント進出を逃した。

 「3年間の集大成を見せられた。やりきれた」。2戦2敗で予選リーグを敗退した佐賀東高のキャプテン東島陽葵(はるき)選手(3年)は、充実の表情で話した。

 1試合目は、全国大会優勝経験がある山口県代表の高校と対戦し、序盤は接戦を演じたものの後半に引き離され、7-15で敗れた。2試合目は京都府代表に序盤から点差を広げられたが、後半にペースを取り戻して得点を重ねた。東島選手がシュートを決める場面もあったが一歩及ばず、14-16と惜敗した。

 廃部の危機を乗り越え、地元開催の国スポへの出場を果たした。

 佐賀東高水球部が創部されたのは1974年。76年の若楠国体では、同校の選手が主軸となったチームが、少年男子4位に輝いた実績もある。ところが、2021年に服部英弘監督が教諭として赴任してきた際の部員はわずか3人。「伝統を途切れさせる訳にはいかない」。県内外を飛び回り、有望な選手の勧誘を始めた。

 それに応じた選手たちの1人が、東島選手だった。小学1年で水球を始め、中学生のころに京都の水泳クラブで全国大会2連覇を達成。その活躍をみた服部監督が直々に京都を訪れ、「佐賀である国スポのために力を貸してくれないか」と頼んだ。熱意に押された東島選手は「大きな大会に出たい」と快諾し、住んだこともない佐賀市に移り住んだ。

 服部監督の練習は厳しかった。学校のプールなどで週6日、キャッチボールやシュート、試合形式の実践などを続けた。中でも選手たちが音を上げるのはプールをひたすら泳ぎ続けて、泳力を鍛えるメニューだ。多いときには2時間かけて10キロを泳ぐこともあったという。その成果もあって、「しっかり守って球を奪い、速攻を仕掛けて点を取るのが得意なチーム」(服部監督)に仕上がった。

 服部監督が水球に打ち込んだ日体大の人脈もフルに生かした。元日本代表監督で、日体大体育学科の大本洋嗣教授が年に数回、佐賀を訪れて指導に当たった。国スポ前には、日体大の選手と練習試合も組んだ。

 部員14人で臨んだ国スポの予選リーグ。SAGAアクアの50メートルプールに、顔が黒く日焼けし、鍛えられた体の選手たちが並んだ。水深2メートルのプールを泳ぎながら、水上のボールを懸命に追いかけた。点が決まると、観客席から大きな歓声が響いた。

 予選リーグ敗退の結果にも、服部監督は「良い緊張感をもって試合に臨めて、持っている以上の力を発揮できていた」と、選手たちの健闘をたたえた。東島選手は「とにかく楽しく試合ができた。将来は高校教諭になり、監督の立場で水球の楽しさを伝えたい」と、晴れ晴れとした表情で会場を去った。

 (才木希)

 プール内の縦30メートル×横20メートルのコート内で、ゴールに球を入れ合う競技。1チームは7人で「水中のハンドボール」とも呼ばれる。国スポの少年男子は、9日の予選で12チームが4グループに分かれて戦い、上位1チームが決勝トーナメントに進出。11日に準決勝、12日には決勝がある。会場は佐賀市のSAGAアクア。