清原正吾はプロの世界へ近づいているのか 名将・堀井監督も成長に太鼓判「階段は昇っていると確実に言える」

AI要約

清原正吾は慶應義塾大学野球部の4番打者であり、自己分析と成長に注力している若手選手である。

春のリーグ戦では成績を残し、夏のオープン戦でも活躍を見せ、プロ野球入りを目指している。

清原は長年の離れていた野球から復帰し、トレーニングや技術向上に努め、自らの成長を実感している。

清原は過去の経験から自己を冷静に評価し、改善点を見つけることで成長を遂げている。

今秋のリーグ戦に向けて守備力の向上にも力を注ぎ、大きな注目を浴びる中でも冷静さを失わない様子を見せている。

清原は高校時代に野球から離れ、自己を見つめ直していたが、再び野球への情熱を取り戻し、継続的な努力で頂点を目指している。

彼の成長は慶應義塾大学野球部内でも高く評価され、プロの世界での活躍が期待されている。

清原正吾はプロの世界へ近づいているのか 名将・堀井監督も成長に太鼓判「階段は昇っていると確実に言える」

「清原がプロの世界へは近づいているか、遠のいているかで言うと近付いている。階段は昇っていると確実に言える」

 東京六大学野球、秋季リーグ戦が始まる直前の慶大・堀井哲也監督の言葉だった。秋のリーグ戦前、最後のオープン戦・東芝戦でもタイムリーを放った清原正吾。社会人野球の名門チームの主戦投手からも結果を残した。

「とにかく秋が大事です。秋のリーグ戦が人生を決めると思って挑みます」

 慶應義塾大学野球部の4番に座る彼は今夏、冷静に自分を分析し、自らを成長させてきた。

「春のリーグ戦で150キロ台のストレートを長打することが出来ました。早いストレートに対応できる手ごたえを得ることが出来ました」

 野球から離れていた6年間の影響もあり、大学球界のトップクラスの投手が集う東京六大学投手陣の150キロ前後のストレートへの対応が一つ課題だった。

「この夏のオープン戦もほぼ毎試合、ヒットが出ていて何よりも内容が安定している。特に真っすぐへの対処は非常に良くなった。追い込まれてからの変化球をファールにする技術もかなり上がりました。もともとツボは持っている。簡単には終わらないバッターになってきた」

 JR東日本時代から多くのプロ野球選手を輩出してきたアマチュア球界の名将・堀井監督も清原の成長には太鼓判を押す。

《自己への分析力と成長へのタスク解決力》、これが清原の最大の武器だ。

 レギュラーを掴んでの4年春のリーグ戦、結果は52打数14安打7打点、打率.269。初めて4番に座り、定位置を掴んだ最初のリーグ戦としては十分な内容と言える。しかし、清原は自分の成長を秋までに最大限加速させるために、春のリーグ戦後の6月以降、授業とテスト勉強の合間を縫って、科学的トレーニングに励んだ。都内のトレーニング施設であるトータル・ワークアウトに通いつめ、全体練習以外の時間を1秒も無駄にすることはなかった。

 トレーニングと野球スキルを噛み合わせるために野球において心臓とも言える股関節の使い方に重点を置き、進化させることに力を注いだ。力のロスをなくす、天性ともいえるサイズのある身体の力を最大限に生かし、スピードを出す…ウエイトトレーニングや神経系の種目を取り入れ、身体全体の筋力とスピードは向上。そして、Athlete Tuning Method(ATM)というトレーニングにトライし、股関節の柔軟性は上がり、効率よく力を伝える技術が格段に上がった。

 そして生まれた北海道日本ハムファイターズ戦での本塁打。春のリーグ戦では本塁打数は「0」。さらに上の世界を目指すうえでは必要な要素であるスピードと力のあるストレートをはじき返し、フェンスオーバーの打球を放つ。神経伝達を高め、身体の力を効率よく打球に伝える……清原が自己を冷静に分析し、課題を克服するための最短距離メソッドは何か。「この夏のトライは成功だった」、これを証明するエスコンフィールドでの一発であり、プロ野球ドラフト会議へ向けては名乗りを上げる最高のメッセージとなった。

「正吾くん、中学は部活はどうするの?」と聞いた時、「僕はもう野球部には入りません」と慶應義塾幼稚舎の校庭で吐露したあの日から10年。中学ではバレーボールを、高校ではアメリカンフットボールを選択した。野球から離れたからこそ自分を冷静に分析できた。どうすれば大学で通用するか、大学野球界で生きていけるか……今、何が必要で何が足りていないか、自分の特色は何か。10代の清原は自分に対して厳しく自己を評価していた。解決策と改善点がわかっているからこそ、また野球がやりたくなった。

「田中さん、相談があります。もう一度、野球をやろうと思います。今の気持ちなら、必ず続けられると思います。慶應で4番を打ちたい。その為の努力ができる気持ちが出来ました」と話してくれた4年前の春。大学の堀井監督と小学校時代の担任の先生である森林先生(慶応高校監督)に相談に行こうと話したあの日からちょうど4年。あの時、彼は高校3年生の時にはすでにバットを持ち、誰にも知られることなく黙々とティーバッティングを行い、野球部に戻れる日を信じて疑わなった。

 いよいよ始まる秋のリーグ戦。上のレベルで勝負する為にあとは守備の向上と語る清原。大きな注目を浴びる中にあって彼は冷静だった。慶應義塾は4年生で一気に伸びる選手が多いことが伝統だ。清原正吾の運命のリーグ戦がいよいよ幕を明ける。慶應義塾大の背番号3がプロの世界で背番号3を背負う日が来る日はやってくるかもしれない。

[文・田中大貴 (たなか・だいき)]

 1980年4月28日、兵庫県小野市生まれ。小野高では2年から4番で打線の主軸を担った。慶應義塾大学では4年春に3本塁打でタイトルを獲得。フジテレビ入社後は主に報道・情報番組とスポーツを担当。「とくダネ!」「すぽると!」ではバンクーバー 五輪、第2回WBC、北京五輪野球アジア予選、リオ五輪キャスターなど様々なスポーツイベントを現地からリポートした。