佐賀バルーナーズ中西佑介選手 「佐賀のファンは…」練習生として残留決断した理由

AI要約

国民スポーツ大会(国スポ)のバスケットボールの佐賀代表に選ばれた中西佑介さん。彼は佐賀バスケットボールチームの創設時からのメンバーで、苦難を乗り越えて復活を果たす決意を固めている。

中西さんはバスケットボールに生涯を捧げ、佐賀の地で愛される存在としてファンの応援を受け続けてきた。彼の大会での活躍に期待が寄せられている。

佐賀のファンや地元に深く根付いたバスケットボールチームへの想いが、中西さんをプロ選手としての自覚と責任へと駆り立てている。

佐賀バルーナーズ中西佑介選手 「佐賀のファンは…」練習生として残留決断した理由

 佐賀バルーナーズの創設時からのメンバー中西佑介さん(30)は、今秋の国民スポーツ大会(国スポ)のバスケットボールの佐賀代表として出場する。このオフに他チームからの誘いもあったが断り、「戦力外」となった佐賀に練習生として残留。けがからの完全復活をかけた大事なシーズンを控えているが、プロ選手として育ててくれた佐賀のファンに、国スポの舞台で勇姿を見せたいという一心で大会に臨む。

 午後9時過ぎ、生徒たちは帰宅し、暗がりに包まれた佐賀北高の体育館にドリブルの音が響いていた。週2回、平日夜に練習している国スポ佐賀代表チーム。コートでは、金色の髪をなびかせて走る筋骨隆々とした体が目を引いた。元プロ選手も含む会社員や公務員として働く30代後半から40代前半が主体のチームで、中西さんは若手に入る。中村洋介監督(46)は「中西選手が入ってスピードとパワーが加わった。今回は上位を狙える」と期待する。

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 京都府長岡京市出身で、小学2年からバスケットボールを始めた。東山高(京都市)や近畿大学(大阪府東大阪市)で活躍した。身長は192センチで、ポジションは主にパワーフォワード。当たり負けしない大きな体とスピードが持ち味だ。

 2018年に創設間もない佐賀バルーナーズのトライアウトに参加して入団。24歳から始めた佐賀生活は「地元も京都の田舎なので、田園が広がる佐賀の景色に親近感を覚えた」。

 当時地域リーグに所属していたバルーナーズは、毎朝9時から佐賀市富士町の旧富士小学校の体育館で練習した。冷房はなく、蒸し暑くて床は汗で滑った。「学生時代より環境は悪かったが、仲間とB1昇格目指してバスケに没頭した」

 バルーナーズは19~20年シーズンにBリーグ参入し、翌シーズンから2部(B2)でプレー。中西さんは中心選手としてチームを引っ張った。チームは23年にリーグ優勝し、念願の1部(B1)昇格を決めた。

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 充実した日々が一転したのは、21年9月、シーズン開幕前の練習でのことだった。ディフェンスの前にポジションを取り、体をターンさせた瞬間、肩に激痛が走った。左肩の脱臼と診断され、感染症も併発して約40日間入院した。リハビリに取り組むも、徐々にしか回復しない日々。21~22年シーズンから2年間は試合に出場できず、シーズン途中に復帰した昨季は4試合に出場。5月にシーズンが終わると、選手契約を更新しないことを告げられた。

 他チームから選手契約の誘いもあったが、悩んだ末、中西さんは「残留」を決断した。地元開催の国スポがあるため、選手契約を目指す練習生としてチームに残り、佐賀代表として国スポに出場する。「バルーナーズ立ち上げから佐賀に丸6年いる。残って活躍する姿をファンに見せたい」

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 バルーナーズの6年間で何より力になったのが、地元ファンの応援だった。合宿で利用した「民宿幸屋」(佐賀市富士町)では、サインした色紙が飾られ、プロの自覚が芽生えた。長いリハビリを経て、昨年完成したSAGAアリーナで初出場した試合では、コート上のモニターに中西選手の顔が映し出されると、「お帰り」と歓声が上がった。

 「県一体となってバルーナーズを応援してくれる。こんなに地元に根付いたチームはない。佐賀のファンは熱い」。これが佐賀から離れられない理由だ。

 左肩の状態は元通りとは言えないが、大会に臨む気持ちは強い。「もう一度待ち望んでくれる佐賀のファンの前に立つ。プロのスキルと姿勢を見せて恩返しがしたい」。目標はベスト4。中西さんの大一番が始まる。 (竹中謙輔)

 トーナメント方式で、1ピリオド10分を4ピリオド行う。第4ピリオドを終えて同点の場合、1回5分の延長戦を勝敗が決するまで行う。唐津市の文化体育館や鎮西スポーツセンター体育館など4会場で10月10~14日開催される。