オランダ代表、背番号10の系譜(2)史上最高峰の中盤!なのに…。なぜか代表では振るわないのは?

AI要約

クラレンス・セードルフは、1998年フランスワールドカップでオランダ代表の背番号10を背負ったが、個人成績にはつながらなかった。

セードルフは重要な試合での出場機会が限られ、準決勝や3位決定戦でもチームに貢献できなかった。

その後もワールドカップでの活躍は見られず、オランダ代表との相性が合わなかったクラレンス・セードルフのキャリアは振るわなかった。

オランダ代表、背番号10の系譜(2)史上最高峰の中盤!なのに…。なぜか代表では振るわないのは?

 オランダ代表の背番号10は、ワールドカップ本大会で輝けないのか。時代を象徴する選手が身に着けてきた番号だが、必ずしも神聖な影響力を持っているわけではなかったのかもしれない。ところが、その不吉なジンクスを打ち破った者もいた。今回は本大会に出場したブラジル大会までのワールドカップ5大会でオランダ代表の背番号10を託された選手たちの活躍を振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの

背番号10:クラレンス・セードルフ(レアル・マドリー)

生年月日:1976年4月11日(当時22歳)

個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

監督:フース・ヒディンク

戦績:4位

 1994年のアメリカワールドカップ後の同年12月にオランダ代表デビューを飾ったが、クラブレベルでの輝かしい経歴とは対照的に、代表ではさしたるインパクトを残せなかった。1998年のフランスワールドカップに背番号10として望みながら、絶対的なレギュラーではなく先発出場はわずか3試合のみだった。

 この大会でオランダ代表は4位に食い込んでいる。準決勝のブラジル代表戦、前回大会でも敗れた因縁の相手との重要な試合でセードルフはベンチスタートとなり、出番が訪れたのは延長後半の111分からだった。PK戦ではキッカーが回ってくることなく敗戦。

 3位決定戦のクロアチア戦ではロナルド・デ・ブールに代わって先発出場するも、ノーインパクトに終わり、チームも敗戦。オランダ代表は4位となった。

 セードルフのオランダ代表でのキャリアは決して華やかではない。キャリアの最盛期で迎えるはずだった2002年の日韓ワールドカップは欧州予選敗退で出場を逃し、2006年のドイツワールドカップは予選突破に貢献しながらマルコ・ファン・バステン監督と相容れず、本大会でメンバー外に。結局、ワールドカップに出場したのはフランス大会の一度だけだった。