厳しい環境もプラスに 監督らしくない「小牧さん」 高校野球・京都国際

AI要約

小牧憲継監督が京都国際を初優勝に導き、感謝の言葉を述べる。

小牧監督は選手との距離を近くし、チームを強化するために努力を重ねてきた。

自主練習を重視し、環境の制約を乗り越えながら強豪チームへ成長した京都国際の成功物語。

 京都国際を初優勝に導いた小牧憲継監督。

 「こんなおじさんに素晴らしい夏休みをくれた。ありがとう」。選手と距離の近い41歳らしい、感謝の言葉だった。

 京都市出身で、京都成章、関大では内野手としてプレー。現役当時は故障に悩まされた。卒業後、銀行に勤めながら休日に京都国際の練習を手伝った。そんな中、前監督が解任。ゆくゆくは、と思っていた指揮官の道は「半ば強引に」、突然始まったという。約半年で職場を辞め、2008年に正式に監督に就任した。

 専用のグラウンドはなく、打撃練習をするとボールが駐車場の車に当たることも。満足とは言えない環境だからこそ、「徹底的に個の能力を高めていく。チームプレーは個の能力の結集」。自主練習の時間に多くを費やした。21年の選抜大会で甲子園初出場。今では自然と競い合う風潮があり、強豪に成長した。

 選手は監督ではなく、「小牧さん」と呼ぶ。周りが監督と呼ぶように促しても気にも留めなかった。「あんまり監督、監督していないのが僕の理想。夢を追い求める子のサポートをしてあげたい」。はつらつとした姿を「特等席」と話す甲子園のベンチで最後まで見届けた。