パリ五輪「自己ベストがメダルの松下知之だけ」惨敗の日本競泳をどう再建するか…「挨拶もできない選手がいた」アトランタからの再建に学べ

AI要約

競泳界において、パリ五輪での日本代表の低調な成績が話題となっている。選手たちのパフォーマンスが期待を下回り、自己ベスト更新も少なかったことが指摘されている。

平井伯昌コーチが指導する松下知之選手を中心に、競泳チーム全体の改革が必要だと訴えている。アトランタ五輪後に競泳界を再建した上野広治氏が再び注目されている。

アトランタ五輪では日本競泳チームがメダルを獲得できず、大きな失敗として批判を浴びた。しかし、その後の再建に成功し、上野氏の指導のもと数々のメダルを獲得してきた。

パリ五輪「自己ベストがメダルの松下知之だけ」惨敗の日本競泳をどう再建するか…「挨拶もできない選手がいた」アトランタからの再建に学べ

 パリ五輪では、スポットを浴び注目を集めた競技がいくつもあった。その一方で、いつにないほど存在感が薄れた競技もある。そのひとつが競泳だ。これまでのオリンピックでは毎回、複数のメダルが期待され、注目を集めてきた。21世紀に入ってからでも、北島康介、柴田亜衣、萩野公介、さらには松田丈志、入江陵介ら多くの選手の活躍が記憶に残る。

 だがパリでのメダルは、400m個人メドレーで松下知之が獲得した銀1個にとどまった。メダルもさることながら、深刻なのは決勝に進んだ選手が9人にとどまり、自己ベスト更新も松下一人のみであったことだ。仮に自己ベストならメダル圏内に達した種目は9つあった。また3月の五輪代表選考会での記録相当で泳げていれば、十数名が決勝に進めていたはずだ。選考会時の記録を上回ったのは松下、200m平泳ぎで4位入賞を果たした鈴木聡美らひと握りに限られる。

 全体として本来の力を出せずパフォーマンスが低調であったこと、大会にピークを合わせられなかったことはチーム全体としての課題でもある。

 競泳日本代表は8月6日に帰国したが、松下を指導する平井伯昌コーチが空港で取材に応じ、組織やコーチングの改革を訴えるとともに、それらを進めるにあたって、一人の名前を出したという。上野広治氏だ。今大会後、「アトランタ五輪以来の惨敗」という文字もしばしばメディアに躍るが、そのアトランタ後の再建の中心にいた人物である。かつて日本競泳が危機にあったとき、どう立て直しを図ったか、改めてたどりたい。

 1996年のアトランタ五輪の日本競泳陣には、世界ランキング1位、2位などに位置する選手が多数いて、「史上最強」とも目されるほどだった。だが結果はメダルゼロ。大会前に寄せられた期待の大きさが裏返り、「惨敗」として大きな批判を浴びた。

 そこから再建に成功する。2000年シドニー五輪で銀2、銅2の計4個、2004年のアテネでは金3、銀1、銅4の計8個のメダルを獲得。その後も「メダルを計算できる競技」という期待に応えてきた。

 その“アトランタ後”の再建の中心を担ったのが、アトランタ五輪後にヘッドコーチに就任、2005年からは監督を務めた上野広治氏だった。

 就任にあたり、アトランタの敗因を調査したという。そこでひとつの結論を得た。

「選手、コーチが個々にレースに臨んで毎日はね返された大会だった。コーチとコーチ、選手とコーチ、選手同士、いろいろな面でまとまりを欠いた」

 いくつもの課題からそう捉えた。

「長年、同じ選手を指導しているコーチでも、選手の泳ぎの変化を見落とすことがあります。かえってほかのコーチが気づいたりする。でも、自分の教えている選手じゃないから、と見て見ぬふりをしていた。情報を共有するという考えがなく、オープンマインドでもなかったんですね」