異国でペンキ塗りバイト生活「五郎丸たちは活躍してるのに…」 ラグビー人生のどん底、悲哀…辿り着いた2015年の栄光

AI要約

日本代表の元主将である堀江翔太が現役引退後の心境や選手生活について語った。

堀江は15年間のトップレベルでのプレーを終え、引退後は安堵感を感じている。

特に2015年のW杯が特別な思い出であり、2019年のW杯よりも記憶に残る瞬間だった。

異国でペンキ塗りバイト生活「五郎丸たちは活躍してるのに…」 ラグビー人生のどん底、悲哀…辿り着いた2015年の栄光

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)4大会出場など日本代表の中心選手として活躍して、2023-24年シーズンで現役を引退した堀江翔太に話を聞いた。HOというスクラムの要と同時に、多彩なパスやキックでスタンドを沸かせ、日本人選手初のスーパーラグビー挑戦も果たした。プレーだけにとどまらず、洞察力とリーダーシップで桜のジャージーを牽引して、2015年W杯での南アフリカ代表撃破、そして19年大会のベスト8進出と、輝かしい足跡を残してきた。16年間に渡るトップレベルのラグビー人生、日本ラグビーのこれから、そしてジャージーを脱いでからの“第2章”と、ラグビー界のラスボスが、その思いを語ってくれた。(取材・文=吉田 宏)

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 国内シーズンが終わり、若手メンバーらが来季へ向けたウェートトレーニングなどを再開し始める埼玉・熊谷の埼玉パナソニックワイルドナイツのクラブハウス。堀江翔太は、現役時代と変わらない“あの髪型“でやって来た。

「あ、これね。 2018年からかな。奥さんがね、YouTube見てね。僕がやっていた針金パーマからドレッドにできるらしいよと。それきっかけですね。僕自身は髪型に関しては全然(こだわりがない)なんで。奥さんのおかげです、はい」

 いまやトレードマークにもなっているドレッドロックをかきあげながら、語り口は淡々と、飄々と。そんな振る舞いが、このレジェンドの飾り気のないキャラクターを物語る。最後の戦いから時間が経った心境も、堀江らしい。

「久々にゆっくりしたという感じですね。1週間何もせずにという、15年間してこなかったことなので。『あ、そうか。練習しなくていいんか』とか『明日から練習やとか考えんでいいんや』というのがすごくストレスフリーで、なんとなく不思議な感覚です」

 昨季リーグワン開幕前の23年12月に行われた引退表明会見でも、「未練なし」と語っていたが、最後の実戦からすこし時間が経っての思いも変わらない。

「悲しいとか寂しいとか、ないんですよね、全然。一つもないんです。 終わったな、という感覚がデカいですね」

 人気、実力の両面で日本代表の苦境の時代から黄金期までを知り、自らのプレーヤー人生も様々な紆余曲折を辿って来た。心境としてあるのは、達成感でも寂しさでもなく、安堵感だ。

「どの試合もプレッシャーを感じてきたんです。特に代表はね。国内リーグも、15年間もやっているとキツイものがありましたよね。それがなくなるんやと思うと、ちょっと安心感の方が大きいかな」

 その口調には、後輩たちからラスボスと呼ばれてきた男でも、試合毎のプレッシャーは尋常ではなかったことが滲む。重圧の中で戦い続けてきた選手としてのハイライトを聞くと、迷いも澱みもなかった。

「2015年のW杯ですね。確かに19年はすごかった。でも、2011年大会を知っているんでね」

 ホスト国として迎えた2019年W杯で、日本代表、いや日本は、いままでに見たことのない光景を目撃することになった。数年前まで誰も信じなかった、日本代表がアイルランド、スコットランドらを撃破して世界トップ8に駆け上がったのだ。その躍進に、国内のラグビー人気が沸騰し、ワイドショーも血眼でラグビーと日本代表を追いかけた。日本ラグビーの大きなエポックとして語り継がれる快挙だったが、堀江にとっては、その4年前のイングランド大会こそが、最も記憶に残る特別な瞬間だった。

「15年大会以前の日本のラグビーを経験していると、やはりあの大会が特別でした。それまで、ここ熊谷での試合なんか(観客)300人くらいじゃないですか? 日本のラグビー全体がそんな感じだったので、15年にあれだけ注目を浴びると、それまでとの段差が凄かった」