「嵐」ライブよりバドミントン…11年後も変わらなかった山口茜 メダルを懸けた試合ではなかったが…記者の心揺さぶられた「ベストバウト」

AI要約

バドミントン女子シングルス準々決勝で山口茜と安洗塋の激しい戦いが繰り広げられた。山口は世界ランキング1位を相手に激闘を繰り広げ、会場の熱狂的な声援を受けながら試合を展開した。

過去には五輪での活躍にプレッシャーを感じていた山口だが、今回は楽しんでプレーし、心から笑って試合を終えることを望んでいた。長年のバドミントン愛が試合に現れ、周囲の期待に応える姿勢が光っていた。

山口はバドミントンの世界で多くの成績を残してきたが、五輪での成功がなかった。しかし、パリの舞台ではライバルとの激しい一戦を通じて、涙と笑顔を共に見せることができた。

「嵐」ライブよりバドミントン…11年後も変わらなかった山口茜 メダルを懸けた試合ではなかったが…記者の心揺さぶられた「ベストバウト」

◇記者コラム「パリ目撃者」

 メダルを懸けた試合ではなかったが、ベストバウトだった。バドミントン女子シングルス準々決勝。山口茜(27)=再春館製薬所=は金メダリストになる安洗塋(アン・セヨン、韓国)と高次元の戦いをくり広げた。

 試合開始は午前8時30分。「テーハミング」と「あかね」コールが交錯する新旧世界女王の対決。山口は第1ゲームを先取したが第2、第3ゲームは会心のショットを拾われ、鋭利なカウンターをくらった。1―2の試合終了まで濃密な74分間だった。

 「やっぱり強いな。悔しさもありますけど、それ以上に、たくさんの声援の中でプレーできる幸せな空間だった」

 コロナ禍で行われた2021年東京五輪は無観客。今回は朝にもかかわらず会場は満員で大声援が送られた。3年前の五輪は世界ランキング1位にもなり、金メダル候補として注目されたが、期待と重圧の間で「考え過ぎた。楽しめなかった」。自由な発想は奪われ、試合後は泣き崩れた。

 「バドミントンの街」福井県勝山市で3歳の時にラケットを握り、大人が喜々としてプレーするのを見て育った。16歳の時に東京体育館で行われたヨネックスオープン・ジャパンで史上最年少優勝。女子高生は羽根と会話するようにプレーしていた。隣の旧国立競技場で「嵐」のライブが行われていたが興味を示さず、「それよりも強い選手と早く試合をしたい」と言った姿が印象的だった。

 11年後も変わらない。全身でバドミントン愛を表現する。だから、応援者が絶えない。日本代表の今別府香里コーチは「コーチに就任する時に、涙を流させたくないなって一番思った」と語った。12年ロンドン五輪女子ダブルス銀メダリストで、所属チームの垣岩令佳コーチも「コロナ禍で先が見えず迷う選手がいる中、茜の姿勢は変わらなかった」と振り返る。

 再春館製薬所の池田雄一監督は「おばあちゃんになった山口に興味があるんです。年を取っても楽しそうにバドミントンをやっているでしょうね」と話した。なかなか耳にしない、面白い表現だと思った。そして、みんなが口をそろえたのは「結果は関係ない。今度の五輪では楽しんで、笑ってプレーしてほしい。涙は似合わない」だった。

 10代から世界を転戦。日本にいる時間の方が短い生活を10年以上続けてきた体は悲鳴を上げるようになった。周囲も最後の五輪になる可能性を感じ取っていた。3大会連続で準々決勝敗退。「笑って終わりたい」と話していた山口は涙を我慢しながら「しゃべってると泣いちゃうんです」と心配するわれわれをくすりと笑わせた後、目頭をぬぐった。

 日本バドミントン史上初の世界1位、2度の世界選手権制覇を達成したものの、五輪には愛されなかった。でも、パリでは泣き「笑い」。バドミントンと同じように得意の「遊び」があった。ライバルとのベストバウトに、泣き笑い。閉会式を終え、時間がたっても色あせない。多くの人の記憶には残らないかもしれないが、まぶたの裏に深く、強く焼きついた一戦となった。(占部哲也)