「キャプテンは石川祐希ですけど、大ボスは関田誠大」「2人の言い合いは日常だった」盟友・今村貴彦だからわかる、天才セッターが最後に託す場所

AI要約

バレーボール男子日本代表のキーマンである石川祐希と関田誠大についてのエピソードが明らかになった。中央大学時代の出来事や、二人が日本代表として活躍する姿が描かれている。

中大時代からの友人である今村との関係や、関田の素晴らしいトスに対する感動、キャプテン石川と大ボス関田の関係性などが明かされている。

今村自身も関田と石川の才能を高く評価し、日本代表として活躍することを信じていた。2人の成功を喜びつつ、自らも関田のトスを打ち続けた思い出に思いを馳せている。

「キャプテンは石川祐希ですけど、大ボスは関田誠大」「2人の言い合いは日常だった」盟友・今村貴彦だからわかる、天才セッターが最後に託す場所

 8月2日早朝4時、バレーボール男子日本代表は決勝トーナメント進出を懸けて予選ラウンド・アメリカ戦に挑む。52年ぶりのメダルに向けて、キーマンをあげるとすれば、キャプテン石川祐希とセッター関田誠大は外せないだろう。石川と関田に多くの影響を受けてきたという旧友が2人のエピソードを語り出した。【NumberWebノンフィクション全2回の第2回】

 嘘だろ、俺かよ。

 点取り屋のオポジット。本来なら「持って来い!」と声を張り上げてトスを呼ぶのが自分の役割とわかっていながら、今村貴彦は内心ビビりまくっていた。

 振り返った場面は、今村が中央大学4年だった2015年の春季リーグ。対戦相手・筑波大のサーブを受けた後輩、石川祐希のレシーブが少々乱れ、コートの横に飛んでいった。そのボールをつなげたのは、今村と同学年のセッターで当時の主将・関田誠大だ。

 関田は素早くボールの下に走り込む。後ろ向きでトスをするのを見れば、普通ならば最も近い位置にいる石川へトスを上げると考えるのがセオリー。石川も攻撃準備に入っていた。しかし、警戒した筑波大のブロックは石川に2枚ついた。

 普通じゃつまらないでしょ、とばかりに関田がセレクトしたのは、石川とは逆サイドの今村。コートの横幅いっぱいに絶妙な高さと質のバックトスが、バックライトにいた今村のもとへ上がってきた。

 当然、誰も予想していない。ノーマークでボールを叩きつける瞬間、何より緊張したと振り返る。

「誰もが石川だと思っていたし、正直僕もそう思っていたのに、自分のところに来た。これは絶対にミスできないと思いますよね。バチーンと叩いて、決まった瞬間“ありがとう! ”と関田にハイタッチをしに行ったら、決まると思っていなかったみたいでめちゃくちゃ喜んでいました」

 あれから9年。味方をも驚かせた同期は日本代表の揺らがぬ司令塔として、入学当初から「放つオーラが違った」という後輩は日本代表のエースで主将として、パリ五輪を戦う。

 同世代の選手の多くが今の日本代表の一員になりたかったと悔しさを抱いているが、2人をよく知る今村は、日本代表を応援する楽しさも存分に味わっている。

「キャプテンは石川ですけど、大ボスは関田(笑)。みんな、絶対にボスをキレさせるなよって思いながら見ています」

 中大では今村が2学年上。「ヒョロヒョロしていたけど、バレーボールになるとすごかった」と驚かされた石川とのエピソードを語る前に、同期の関田との出会いを振り返る。

 初めて会ったのは、中学選抜の選考合宿だった。今村は宮崎で、関田は東京。互いの名前も顔も知らなかったが、関田のトスを一本打っただけで衝撃が走った。

「このトスを打ちたいってビビッときたんです。目をつぶって腕を振れば関田のトスがそこに来る。それぐらい合わせてくれるし、ただ優しいだけじゃなく『そこに上げたんだからちゃんと打てよ』というプレッシャーも込めてくる。大げさじゃなく、この人だ、って。ひとめぼれみたいな感じでした」

 すぐに仲良くなった。高校も「同じチームでやりたい」と考えたが叶わず、チームメイトとして戦うことが実現したのは中大に進学してから。3、4年時に全日本インカレを制し、天皇杯ではVリーグのサントリーサンバーズにも勝利した。

 今村自身、ケガで試合に出場できない期間もあったが、関田のトスを打ち続けた4年間はただただ楽しく、最も多く打ち続けてきたと自負しているからこそ、今村には確信があった。

「(関田は)身長は小さいかもしれないけど、絶対に代表に行って活躍する選手だと思っていました。だから一緒にパナソニックに入って、すぐに関田が代表に呼ばれたと聞いて、もっと上に行くだろうなと信じていました」