なぜ関田誠大のトスは打ちやすい?「トリッキーにも見えるけど…」元日本代表・清水邦広が語る、味方だけがわかる天才セッターの“絶妙な匂わせ”

AI要約

7月31日に行われたパリ五輪予選リーグでバレーボール男子日本代表が大会初勝利を挙げた。特にセッター関田誠大がチームの生命線として活躍し、注目を集めた。

チームは初戦の難しさに直面し、敗れたものの、メダル候補としての期待がかかる中、選手たちは真剣に大会に臨んでいる様子が伝わってくる。

清水邦広は関田誠大を日本代表の要と位置付け、関田の冷静なプレースタイルに一定の驚きを感じていた。関田の成長と存在感が注目を集める。

なぜ関田誠大のトスは打ちやすい?「トリッキーにも見えるけど…」元日本代表・清水邦広が語る、味方だけがわかる天才セッターの“絶妙な匂わせ”

 7月31日、パリ五輪予選リーグ・アルゼンチン戦で大会初勝利をあげたバレーボール男子日本代表。中心にいたのは、チームの生命線とも言われるセッター関田誠大(30歳)だった。本稿では、関田とセカンドセッター深津旭弘(37歳)の2人と縁深い人物にインタビューを実施。それぞれの役割や強みを知れば、バレーボールがいっそう面白くなる。第1回は元日本代表・清水邦広(37歳)の証言です。〈NumberWebインタビュー全3回〉

 オリンピックで勝つ難しさと、初戦の難しさ。そのどちらも突き付けられたのが、フルセットの末に敗れた7月27日のドイツ戦だった。

 一度はマッチポイントを握り、「勝てる!」と思うシーンが何度もあっただけに、悔しさはつのる。それでも、始まったばかりで悲観する必要はない。

 男子バレーはパリ五輪開幕前から、メダル候補として多くのメディアに取り上げられてきた。連日「メダルに向けて」とマイクを向けられた選手たちは、真摯にそれぞれの想いを返していた。

 もし自分がその立場にいたら――。

「絶対、プレッシャーでしかなかった」と笑うのは、北京、東京と2度の五輪を経験した清水邦広だ。

「世界ランク2位って、ものすごいじゃないですか。オリンピックに出てくる国はみんな日本を倒そうと向かってくる。もちろん日本も挑戦者ですけど、強者としても臨まないといけない。その重圧がかかる中でも、僕はこの日本代表は史上最強だと思う。52年ぶりの金メダルを獲る力もあると信じています」

 希望でも願望でもなく、確信を含めた力強さでそう話す清水は、カギを握る選手として一人の名を挙げた。

「その中でも最重要人物は関田(誠大)。この日本代表の要は彼です」

 関田と清水は日本代表として東京五輪に出場しただけでなく、2015/16シーズンからの3シーズンをパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)で過ごした。

 身長は175cm。日本国内でも小柄な部類に属するセッターだが、それを上回るハンドリングとトスの質は入団当初から際立っていた。ミドルブロッカーを積極的に使うトスワークも当時から群を抜いていたが、「できる限り自分が打ちたい」という清水は時折、不満も抱いたと振り返る。

「とにかく自分が打ちたい。ミドルやパイプ(後衛の選手がスパイクを放つ)を使って、決まればいいですけど、決まらないと『俺に持ってきてほしかった』と思うタイプなので」

 2人が初めて日本代表でプレーしたのは、2016年のリオ五輪最終予選。当時の正セッターは同じパナソニックの深津英臣(現・ウルフドックス名古屋)で、セカンドセッターの関田に巡ってくる出番は数えるほどしかない。試合の勝敗もさることながら、誰だって試合に出たいのは当たり前。しかし、当時日本代表の主将を務めていた清水の目に映る関田は、常に冷静に、むしろ淡々としすぎているように映っていた。

「確かに深津(英臣)はいいセッターですけど、そこを蹴落として出てやろう、というぐらいの反骨心は(関田から)感じられなかった。悔しさを出すことがほとんどなかったんです。だから、あの時の関田は衝撃でした」

 清水が回顧する「あの時」はいつを指すのか。リオ五輪予選翌年の2017年。リオ五輪への出場を逃した男子代表は中垣内祐一監督が就任し、フィリップ・ブランがコーチとして招聘され、東京五輪に向けた新チームが始動したころだった。