東京五輪落選で母に抱きしめられ泣いた夜も…競泳・渡辺一平、「楽しさ」への原点回帰でどん底からはい上がった3年間 結果はリオと同じ6位も「よく頑張ったかなと思う」

AI要約

元世界記録保持者の渡辺一平がパリ五輪競泳男子200メートル平泳ぎで6位に入賞したことを振り返る。

東京五輪で落選し、左膝を故障するなど逆境に立たされた渡辺が光を求めて原点回帰し、新コーチと共に水泳を楽しむことを見出す。

新たなコーチと共に楽しさを取り戻し、パリ五輪に向けて再び競技に取り組む決意を固めた渡辺一平。

東京五輪落選で母に抱きしめられ泣いた夜も…競泳・渡辺一平、「楽しさ」への原点回帰でどん底からはい上がった3年間 結果はリオと同じ6位も「よく頑張ったかなと思う」

◇31日 パリ五輪 競泳男子200メートル平泳ぎ(ラデファンス・アリーナ)

 元世界記録保持者での渡辺一平(27)=トヨタ自動車=は2016年リオデジャネイロ五輪と同じ6位だった。テレビ中継のインタビューでは「水泳ってマジ難しい。今季すごく好調で五輪に向けて努力してきたのに、なかなかタイムにつながらず…。むちゃくちゃ奥が深い。8年ぶりの五輪、僕なりに時間をついやしてきた。きょうできるパフォーマンスはすべて出せた。8年前同様の6位ですが、よく頑張ったかなと思う」と振り返った。

 底に落ちた後に「楽しみ」という光を見いだし、はいあがった3年だった。リオ五輪に19歳で出場。準決勝で2分7秒22の五輪記録をマークし、決勝は6位。翌17年は当時の世界記録となる2分6秒67をたたき出した。

 だが、「人生で一番頑張った」東京五輪はまさかの落選。その後は、左膝を故障するなど一気に転落した。193センチの巨体はふさぎ込み、母・成子さんに抱き締められて泣いた夜もあった。光を求め、約2年前に12年ロンドン五輪200メートル平泳ぎで銅メダルの立石諒を育てた高城直基コーチに師事した。新コーチはこう語りかけた。

 「水泳を始めた当初、小学生の時は水泳が好きでプールに行っていた。あの感情を持ってプールに来てほしい」

 原点回帰―。何のために競技を続けるのか。社会人となり職業としての水泳は「苦しさ」=「強さ」と考えていたが、違った。深沢大地、渡部香生子という平泳ぎ仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し、つらい練習も「楽しく」なった。2人は五輪切符を得られなかったが、渡辺にとっては同士であり、盟友だ。

 パリ五輪に向けても高城コーチは同じことを言った。「水泳を好きで、愛して、楽しく頑張らないと劇的なレベルアップはできない」。もう背中を折って小さくなった193センチのスイマーはパリにはいなかった。(占部哲也)(写真はAP)