【体操】絶望的3・267差でも生きた「内村航平スタイル」強化トップ佐藤寛朗コーチが金導いた

AI要約

日本が男子団体総合決勝で前代未聞の大逆転勝利を収め、16年リオデジャネイロオリンピック以来2大会ぶりの金メダルを獲得した。

佐藤寛朗コーチの指導力と強化トップとしての役割が成功に貢献し、選手たちとの信頼関係を築いた。

選手たちが点差にとらわれず、内村航平のスタイルを尊重し、体操の神様の助けを感じながら勝利を掴んだ。

【体操】絶望的3・267差でも生きた「内村航平スタイル」強化トップ佐藤寛朗コーチが金導いた

 【パリ29日(日本時間30日)=阿部健吾】男子団体総合決勝で橋本大輝(22)、萱和磨(27)、谷川航(28=以上セントラルスポーツ)、岡慎之助(20)、杉野正尭(25=ともに徳洲会)の日本が前代未聞の大逆転勝ちで、16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)以来、2大会ぶり8度目の金メダルを獲得した。6種目合計259・594点で、2位中国に0・532点差で競り勝った。東京五輪ではROC(ロシア・オリンピック委員会)に0・103差で「銀」の悔しさを味わった日本は2種目目のあん馬でエース橋本が落下。最後の鉄棒を残して首位中国と3・267点の大差から最後は橋本が締め、2度落下のライバルを逆転した。

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 ★強い信頼関係

 「内村航平」。世界の体操界で偉大な記録を刻み続けたアイコンだからこそ、続く世代にとっては、向き合い方を問われる。橋本ら代表は、「歴史をつくる」を命題にしたが、もう1人、内村さん自身が「僕との時は120点。いまは500点」と驚嘆する人物が代表を支えていた。佐藤寛朗コーチ(35)。現場の強化トップとしてこの3年間、指導に当たってきた。

 以前は内村さんの専属コーチだった。小2から知り合いの縁を頼りに、オーストラリアで体操を学んでいた16年に白羽の矢が立ち、タッグを組んだ。種目別鉄棒で臨んだ東京五輪での予選落ちに責任を感じ、苦悩の中で臨んだ10月に北九州で開催された世界選手権。帯状疱疹(ほうしん)を患いながら、内村さんの鉄棒の着地が決まった瞬間、「これで大仕事一区切りだな」と感慨に浸った。

 直後だった。次は橋本の演技。東京五輪で金メダルを獲得した種目はただ、0・100点差で中国選手に敗れた。「すごい悔しそうな表情をその場で見た。あとパリまで3年、なんとか今度はチームのために何かできないかな」と望んだ。

 運命が動く。水鳥強化本部長から現場の強化責任者の打診を受けたのは、その直後。それまでの代表合宿での的確な技術指導、分析、そして堪能な英語力で国際連盟の最新情報をいち早く現場に落とし込める能力が見込まれた。「不思議な縁。フラットな立場でアドバイスをできれば」と即決。選手として五輪経験はない。大抜てきだった。

 「内村の元コーチ」。その肩書を最大限利用した。どこの組織にも属さない立場として、徹底したのは所属先との連携だった。「所属コーチの方が自分より選手のことは把握してる」。密な連絡のために、1日に拠点のはしごも日常茶飯事。「その間に資料整理できる」と電車移動にこだわった。代表合宿では最新の研究を生かした技術分析を伝え、特に弱点とされたつり輪の強化を重視した。その手腕に、次第に選手からの動画付きの相談も増えていった。合宿後には所属先に詳細な報告書を送り、具体的な改善点を共に探った。

 いま岡と杉野の所属である徳洲会のボードには、佐藤氏作成の1枚の紙が貼られている。題名は「着地トレーニング」、作成は22年4月22日。トップ選手、コーチには自明の基本技術が、写真入りで説明されている。百も承知と一蹴されず掲示されてきた。地道に作り上げてきた信頼関係を物語る。徳洲会の米田監督は「役職とかではなく、佐藤君がすごい。人としてのポテンシャルが」と称す。

 昨年の世界選手権、団体戦で優勝を飾った。期間中、当時は代表の強化スタッフだった内村さんとホテルの同部屋で、何かとちょっかいをだされた。「後で言われたんですけど、僕がずっと仕事してるので、『わざと。お前、はげるぞ』って」と笑顔で振り返る。それほど常に強化が頭にあった。そして、いま思う。「もし東京五輪で内村さんが金メダルを取っていたら僕はそこにいなかった。あの予選落ちも意味があったんだなと」。

 ★体操の神様が

 この日、点数差をつけられても選手は諦めなかった。「点数にこだわりすぎずに1つ1つやっていくことが大事だと常々言ってます。それが航平さんのスタイルでした」。東京までの日々で得た確信だった。「最後は点差を考えてしまったら、勝てないなっていう空気になっていた。だけど、自分たちの演技をつなぐことを目的にしてたので。誰も『もう勝てないな』という雰囲気にならなかった。体操の神様がいてくれるなって感じました、本当に」。

 鉄棒を終え、選手たちと次々に抱き合った。内村さんとの日々で得た財産を糧に、内村さん自身の想像も超えて、日本体操界の未来をつなげた。数奇な運命であり、そこに体操ニッポンの強さがあった。