「26歳で初めて生理が」元フィギュア・高橋成美 世界選手権後に大けがもソチ五輪出場を果たして

AI要約

元フィギュアスケートペア選手の高橋成美さんは、中国へ移住し活躍後、帰国してからの生活やキャリアを振り返る。

中学3年生の時、父の冗談をきっかけに渋谷教育学園幕張高校に合格。勉強とスケートの両立が大変だったが、意欲を示す。

高校入学後は、スケート練習を続けつつ友達との遊びにも勤しむ。困難を乗り越えながら成長していく様子がうかがえる。

「26歳で初めて生理が」元フィギュア・高橋成美 世界選手権後に大けがもソチ五輪出場を果たして

元フィギュアスケートペア選手の高橋成美さんは、小学校4年生のときに当時“ペア大国”だった中国へ移住し、ナショナルチームに入って活躍していました。日本に帰国してからは、渋谷教育学園幕張高校の受験、カナダ移住、慶應義塾大学に入学、世界選手権、ソチ五輪と、多忙な日々のなかで公私ともに結果を残しました。体重管理で生理が来なかったこと、世界選手権銅メダル獲得後に負った大けが、引退を決めた理由などについて話してくれました。(全3回中の2回)

■父の冗談をきっかけに渋幕受験を決めて

── 帰国後、中学校でもスケートでもなじめない期間があったなか、高校受験では渋谷教育学園幕張高校に合格されました。勉強とスケートの両立は大変だったのではないでしょうか?

高橋さん:中学3年生のころに山田孔明くんという選手とペアを組むことができたのですが、日本の環境下でペアをやるのはすごく厳しかったんです。ペアの場合は、練習時間が日本でも朝2時から5時という枠しか予約が取れなくて、1時間の練習につき5~6万円かかるので、レッスン料などを含めると1日に20万円ぐらい必要で。さすがにこれ以上はダメだという状況のときに、父が冗談交じりで「渋谷教育学園幕張高校に行けたらスケートを続けていいよ」と言ったんです。私は「もうそれしかない!」と。偏差値もよく分かっていなかったのですが、渋幕に行かないとスケートができないと思ったので、中学校3年生で受験を決めました。

勉強がすごくできるというわけではなかったですし、実際に数学は2次関数のあたりでヒーヒー言っていたのですが、3か月間だけ通った塾で習ったことがたまたまテストに出て。「あれ?これ、塾の教科書?」みたいな感じで解けて、合格することができました。そのぶん、入ってからがすごく大変でした。

── 高校入学後はいかがでしたか?

高橋さん:渋幕は海浜幕張にあるのですが、稲毛海岸の「アクアリンク千葉」というところにスケートの先生がいてくださったので、学校の延長線上でスケートも続けていました。でも、しばらくすると仲のいい友達ができて、両親には「練習した」と嘘をついて学校帰りに遊んでいたこともありました。