6月初旬のヨネックスレディスで2勝目を挙げた新垣比菜。2018年の初優勝から実に2223日ぶりという長いブランクを経ての勝利だった。シード落ちというどん底から、新たなコーチとの出会い、復活までの道のりを取材した。

AI要約

新垣比菜は2018年の初優勝から2223日ぶりに2勝目を挙げた。初勝利までの軌跡は華々しいものだったが、その後は苦しい時期が続く。

新垣は実力がありながらも、ゴルフに対する知識が不足していたと振り返る。しかし、練習量でコースでの応用力を補っていた。

苦しい時期を乗り越え、新垣は青木翔コーチと出会い、復活への道を歩み始める。

6月初旬のヨネックスレディスで2勝目を挙げた新垣比菜。2018年の初優勝から実に2223日ぶりという長いブランクを経ての勝利だった。シード落ちというどん底から、新たなコーチとの出会い、復活までの道のりを取材した。

6月初旬のヨネックスレディスで2勝目を挙げた新垣比菜。2018年の初優勝から実に2223日ぶりという長いブランクを経ての勝利だった。シード落ちというどん底から、新たなコーチとの出会い、復活までの道のりを取材した。

新垣比菜というゴルファーの成績を見てそのキャリアを2つに分けるとしたら、勢いよく初優勝まで突き進んでいった前半と、そこからの苦しんだ後半ということになるだろう。

初勝利までの新垣の軌跡は実に華々しい。12歳のとき、地元沖縄で開催されたダイキンオーキッドレディスに当時史上最年少で出場。その後同じ黄金世代の畑岡奈紗や勝みなみらとナショナルチームに選出され、プロテストは1発合格。そして翌年の4月にはサイバーエージェントレディスで初優勝を遂げる。これは初日から1位をキープする完全優勝だった。

実力はもちろん容姿端麗なビジュアルも相まって、メディアはこの華々しいストーリーを黄金世代のトップランカーとして騒ぎ立てた。その後も9月のマンシングウェアレディース、10月のスタンレーレディスで2位に入り、2勝目は時間の問題かと思われていた。

だが、当時のことを本人に振り返ってもらうと、世の中が抱く印象とは大きく異なる。「今思えば、何もわかってない中で勝っちゃったという感じです。“ゴルフを知らなかった”と思います。ただ、かなりの量の練習を“やらされていた”ので実戦ではどうにかなっていたという感じです」(新垣)

天賦の才に加えて、コースでの応用力は練習量でカバーしていた。しかし当時のことを振り返る新垣の言葉にはいわゆる「あの頃の努力が下地になり今がある」という誇るべき経験のようなニュアンスはなかった。少なくとも筆者はそう感じた。

新垣へインタビューしていると、誠実で自分の意思をしっかり持った選手なんだという印象を受ける。だからこそ、誰かに強いられたり自分の思い通りにゴルフと向き合えないことは、彼女にとって強いストレスだったはずだ。

当時、彼女の心の内を知るすべはない。だが、翌年は開幕戦のダイキンオーキッドレディスこそ2位タイに入ったものの後半戦はトップ10入りがゼロに。そして、コロナ禍で統合された2020-21年シーズンにはシード権を喪失。同世代の選手の名前が毎週のように報じられる中、22年シーズンの前半は出ればほぼ予選落ちというどん底の状態が続いた。

そんなシーズンの真っ只中、新垣は「何かを変えなきゃ」という想いを持ち青木翔コーチの元を訪れる。