合言葉は「能登に笑顔を」…鵬学園が歴史を塗り替える勝利!! 星稜を逆転で退けて総体初出場!!

AI要約

インターハイ石川県予選決勝で鵬学園高が3-1で勝利し、初出場を決めた

震災に見舞われた鵬学園高は苦難を乗り越えて逆転劇を遂げた

選手やスタッフの団結力が試合に勝利をもたらし、次は全国の舞台で戦う

合言葉は「能登に笑顔を」…鵬学園が歴史を塗り替える勝利!! 星稜を逆転で退けて総体初出場!!

[6.3 インターハイ石川県予選決勝 星稜高 1-3 鵬学園高 金沢ゴーゴーカレースタジアム]

 令和6年度全国高校総体(インターハイ)石川県予選の決勝が3日に行なわれ、星稜高と鵬学園高が対戦。3-1で勝利した鵬学園が、インターハイ初出場を手にした。

 鵬学園は元日に発生した能登半島地震で七尾市にある学校が被災。サッカー部の生徒が暮らす寮は地面が液状化し、2月からの2か月間は富山県の民宿で集団生活を送った。

 4月からは七尾市に戻ったとはいえ、これまで使ってきたグラウンドは使えず、現在も車で一時間以上かけてかほく市のグラウンドで練習を続ける。困難な状況を乗り越え、堂々と戦った結果の逆転劇。赤地信彦監督は「選手がめげずに最後の最後までやるべきことをやってくれたので褒めたい」と目を細めた。

 試合展開も決して楽ではなかった。立ち上がりから星稜が攻勢を仕掛けてくるのは分かっていたが、「チームとしての難しさはあったし、個人としても会場の雰囲気に緊張して硬くなっていた」(MF猪谷悠太、3年)ため、星稜のサイド攻撃に押し込まれる。前半2分に受けたMF高山尭大(3年)の仕掛けは左サイドで阻止したが、奪ったボールを後方に下げたところをMF山口晴(3年)に奪われ、先制点を与えた。

 7分には右クロスからFW南慶士郎(3年)がダイビングヘッド、12分には左クロスをMF村上颯俄(3年)が頭で落とし、高山がゴールを狙うなど星稜の時間帯が続いたが、鵬学園の選手に焦りの色は見られない。「選手に言っていたのは震災以上の苦しい想いはないということ。今日のミーティングでも、1失点ぐらいどうでもよい。もっと苦しい想いをしてきたじゃないかと伝えていた」(赤地監督)。

 序盤の鵬学園は良い形でボールが奪えなかったため、思い通りの攻撃ができなかったが、前半半ばからはMF竹内孝誠(3年)らがセカンドボールの攻防で勝つ場面が増加。2列目が前向きでボールを持てるようになったことで、試合のポイントだった右サイドのMF亀山日々葵(3年)の仕掛けが生き始める。

 ファウルになったため、得点には至らなかったが、33分には右CKからDF竹中健之助(3年)がゴールネットを揺らすなど上向きな状態で前半を終えた影響は大きく、ハーフタイムには選手たちが「自分たちはここからが一番強い」と話していたという。

「このまま行けば1、2点取れる雰囲気があったので自信を持っていた」。猪谷の言葉通り、後半に入ると攻撃のギアが一段上がり、後半5分には連携で右サイドを崩すとDF生駒晟司(3年)がクロス。中の猪谷が合わせたボールをMF能勢翼(3年)がコースを変えて、同点に持ち込んだ。

 以降も鵬学園がペースを握って試合を進め、後半17分に星稜が選手交代によってシステムを4-1-4-1から4-4-2に変更したタイミングで鵬学園ベンチも動く。普段はスタメンでも起用する選手ながら、この日はベンチスタートとなったMF和田陸(3年)を25分に投入する。

「悔しい想いをしていたので、一発やってくれると思っていた」という指揮官の期待通り、35+1分に和田の見せ場が到来。左サイドでボールを受けるとカットインからのシュートを決めると、70+3分にはカウンターから猪谷がダメ押しとなる3点目をマークし、3-1で鵬学園が勝利した。

 震災直後は赤地監督を始め、スタッフは避難先の富山県の民宿で共同生活を送ってきた。校内の合宿所と近隣の国民宿舎で生徒が生活している今も毎日必ず寮に顔を出し、コミュニケーションを密に取っている。一人でサッカー部を見ていた2012年の監督就任当初は当たり前だった光景だが、時間が経つにつれて薄れていた部分だと実感した。

「震災前はコミュニケーションの部分をスタッフに任せて、監督になっていた部分があるけど、今回の震災を機に富山で一緒に生活をするようになり、選手たちが私に対してどう思いますか? と言えるようになってきている。前は言えなくなっていて、私のダメな所だった。大きく変えたわけではない。原点に戻った」

 互いのことが分かるため、試合中はこれまでのように口酸っぱく指示を出さない。「今年は暑苦しい自分は辞めようと自分を変えた。この子たちは一生懸命やってくれているし、俺が言わなくても分かっている」。そう口にする指揮官を信頼しているから、選手たちがこれまで以上に懸命に頑張るようになった側面もあるだろう。選手、スタッフの垣根を越えて一つに繋がった結果が、チームの歴史を塗り替える勝利となった。

 震災以降、選手たちが話し合い、「能登に笑顔を 支援に感謝」、「能登にエールを皆と共に」との言葉を合言葉に活動を続けてきた。全校生徒が駆け付けて大いに盛り上がった様子や難しい試合展開でも最後まで粘り強く戦い続けた選手たちの姿はこれまで支援してくれた人、能登半島の人たちにも届き、笑顔と元気を与えたのは間違いないだろう。

「(被災したのは)能登だけではない。内灘を含めて震災で苦しい地域はたくさんある。金沢だって苦しい地域はある。次は石川県代表として、石川県全体に元気を与えられるよう頑張りたい」。赤地監督の言葉通り、次は石川県代表として全国の舞台で堂々とプレーする番だ。