<後編>「こうすればよかった」 被災者の声「1日前プロジェクト」【暮らしの防災】

AI要約

60代女性が経営する旅館では、東日本大震災後に避難者の受け入れと食事確保に尽力した。

避難者の名簿作成が遅れた反省から、今後の緊急マニュアルに名簿作成の項目を加えることを決めた。

情報の不足から離ればなれになった家族の再会支援や、遠方からの避難者対応に尽力したエピソード。

<後編>「こうすればよかった」 被災者の声「1日前プロジェクト」【暮らしの防災】

「1日前プロジェクト」は、内閣府が行っている防災プロジェクトです。被災者の方に「災害の一日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか」と問いかけます。その答えには、学ぶことがたくさんあります。東日本大震災の時の体験から抜粋して後編を掲載します。

※文章・イラストは内閣府の「1日前プロジェクト」HPから

※肩書き、年齢はアンケート当時のものです

※「1日前プロジェクト」のHPの情報は、多彩で学ぶ点がたくさんあります。「内閣府+1日前プロジェクト」で検索してみて下さい。

【福島県相馬郡新地町 旅館経営 60代女性】

 私が経営する旅館は高台にあるため、地震直後から次々に避難者が押し寄せてきました。ガス・電気・水道が幸いにも無事だったので、2日間はとにかく避難者の受け入れと食事の確保に必死でした。

 避難者の名簿づくりを始めたのは地震2日後の3月13日。「うちの娘来てない?」「おじちゃん、いないかしら」と、次々に家族を探す人が現れたのを見て、「これはいけない」と名簿づくりを始めたのです。

 お名前や住所を書いていただくと、意外にも遠方からの避難者も多いことがわかりました。記入してくださったのは13日だけで60~70人。11、12日はもっといたかもしれません。出張で福島を訪れ帰れなくなったサラリーマングループ、旅行で来ていた御夫婦などもいました。

 名簿にあったお名前をある避難所で叫んでみたら、その方のおばあちゃんが「はーい」と手を挙げてくれたときはうれしかった。この名簿によってたくさんの人たちの所在がわかり、家族の再会に結びついたこともありました。

 地震直後の情報のない中で、離ればなれになってしまった御家族の心中を察すれば、もっと早く名簿を作ればよかったと思います。そこまで思いが至らなかったことを、お客様の命を預かるホテルの経営者として反省しています。これから、緊急マニュアルに名簿作成の一項を加えていきます。