じつに「2500年も置き去り」にされていた…地面に鎮座する巨大な頭…鉄器のない古代人が彫り上げた超技術

AI要約

オルメカ文明は、メキシコ湾岸から南部の低湿地帯に発達したアメリカ大陸最古の文明であり、“メソアメリカ文明の母”とよばれている。

オルメカ文明は、紀元前1200年~紀元前900年のサン・ロレンソ遺跡時代と、紀元前900年~紀元前400年のラ・ベンタ遺跡時代に区分される。

オルメカ文明の起源や文化については、天然ゴムの産地である地域に関連があり、1862年の巨石人頭像の発見をきっかけに本格的に考古学の対象となった。

オルメカ文明は、マヤ文明よりも先行しており、メソアメリカ文明の母胎として最初の文明であることが明らかになった。

オルメカ文明が栄えた地域は年間3000ミリメートルもの降雨があり、高温多湿の環境であった。河川地域は肥沃な土地が形成されたが、環境は人間にとって住みにくいものであった。

オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人々」を意味し、地域がゴムの産地であることに由来している。

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オルメカ文明は、メキシコ湾岸から南部の低湿地帯に発達したアメリカ大陸最古の文明であり、“メソアメリカ文明の母”とよばれている。オルメカ文明は一般的に、大きく紀元前1200年~紀元前900年頃のサン・ロレンソ遺跡を中心とした時代と、紀元前900年~紀元前400年頃のラ・ベンタ遺跡を中心とした時代の二つに区分されている。

この地域には現在、熱帯雨林のジャングルがうっそうと茂っている。年間雨量が3000ミリメートルにも達し、一年中高温多湿のためにあらゆるものはすぐに腐敗し、淀んだ川や沼沢地にはヒルやアブ、ムカデなどに加え、ものすごい数の蚊が飛び回るとても人間が住める環境ではない。

私の素朴な疑問は、はたしてオルメカ文明が栄えた紀元前1200年頃はどうであったのか、というものである。年間3000ミリメートルという降雨によって、洪水がたびたび起こったであろうことは想像にかたくないから、河川地域には肥沃な土地が形成されたのは間違いないのだろうが。

「オルメカ」とは、古代アステカ人が使っていたメキシコの国語の一つであるナワトル語で「ゴムの国の人々」を意味する。これはこの地域が天然ゴムの産地であり、16世紀にスペイン人が侵略したとき、現地の人々がこのあたりをそうよんでいたことに由来する。

オルメカ文明といえば、すぐに思い浮かぶのが次の写真のような「巨石人頭像」である。この文明の存在が明らかになった発端は1862年、メキシコ湾岸のトレス・サポテスという村で、農夫が土中に埋まっていた巨石人頭像を発見したことであった。

オルメカ文明が本格的に考古学の対象となったのは、アメリカの考古学者・スターリングがトレス・サポテス遺跡の調査を行った1938年以降のことのようである。1940年、彼は3体の巨石人頭像など多数の遺物を発見した。

スターリングのこれらの発見、さらに1950年代に行われた放射性炭素による年代測定の結果、それまでの“定説”を覆し、オルメカ文明がマヤ文明に先行するどころか、メソアメリカ文明を生み出した母胎であり、中米に出現した最初の文明であることが明らかにされたのである。