世界の地震の10%が日本で起こる現実…能登半島の巨大な海岸隆起に「激しく動く地球」を感じた

AI要約

能登半島地震の現場取材では、古びた能登半島の5万分の1地図を携えていた。地図は58年前のもので、地震前に使ったものである。

能登半島を徒歩で巡り、心温まる出会いを経験した過去の思い出。再訪した際には地震の影響を目にする。

地震被災後の能登を巡りながら、活断層研究の第一人者とのインタビューを通じて地震の原因について考察する。

世界の地震の10%が日本で起こる現実…能登半島の巨大な海岸隆起に「激しく動く地球」を感じた

能登半島地震の現場取材では、古びた能登半島の5万分の1地図を携えていた。この地図は、「七ッ島」「馬緤(まつなぎ)」「珠洲岬」「輪島」「宝立山」「能登飯田」「穴水」「宇出津(うしつ)」の6枚の地図(現在の5万分の1地図とは異なる)を貼り合わせ、海の部分を切り落としたもので、対角線の長さは約1.4mにもなる。

能登半島取材に出る直前、書庫の山根式袋ファイルの「地図」のひとつから見つかったのだが、この地図は私が高等学校卒業直後の1966(昭41)年3~4月、約1週間かけて能登半島を旅した時に使った地図なのである。実に58年前だ!

わずかな小遣いでの旅だったのでできるだけ徒歩で能登半島を周回、徒歩距離はおよそ80km。歩いていても人に会うこともすれ違う車もごくごくわずか。「ヒッチハイク」という図々しいことはできなかったが、ふと小型トラックが停車、「乗っていきなさい」と誘っていただいたことが何度もあり、とても嬉しかった。私にとって能登は、そういう心あたたかな人々の世界として今も心に残っていた。

その、大事な思い出の能登が巨大地震でめちゃくちゃになった。なんということだ、という思いから、58年前の地図を携えて再訪したのである。

地震被災後の能登をめぐりながらも、「明治以降の陸域地震では最大規模の巨大地震がなぜ起こったんだ」という思いが頭から離れず、活断層研究の第一人者、遠田晋次さん(東北大学災害科学国際研究所、災害評価・低減研究部門、陸域地震学・火山学研究分野教授)に何度もインタビューを行ってきた。

能登半島地震の被災地調査を行った遠田さんは、「地震学者として経験したことがない現象が多々だ」として現地調査について語ってくれたが、その一つが鴨ヶ浦塩水プールだった。

遠田輪島市の中心部から約1.5kmの日本海沿いに「鴨ヶ浦塩水プール」という登録有形文化財の施設があります。輪島市には学校用のプールがなかったので1949年~1955年に岩礁帯を掘削して海水利用のプールを作ったんです。日本でも非常に珍しい施設ですが、能登半島地震での地盤隆起で(1.4~2.2m)干上がっていました。

この塩水プールのように、能登半島の西岸では著しい地盤の隆起が起こった。