【袴田事件】姉・ひで子さんが魂の意見陳述「巖をどうか人間らしく過ごさせて…」 再審公判が結審

AI要約

1980年に死刑判決が確定した袴田巖さんの再審は、検察が再び死刑を求刑し、弁護側が無罪を主張。巖さんの姉・ひで子さんが巖さんが受けた苦しみを訴え、再審の判決が待たれている。

1966年の殺人事件で巖さんに誤審が起き、47年間も投獄されたことで、巖さんと姉・ひで子さんの心に深い傷が残っていることが明らかにされた。

再審公判の判決は9月26日に予定されており、巖さんが無実を証明することを願っている。

【袴田事件】姉・ひで子さんが魂の意見陳述「巖をどうか人間らしく過ごさせて…」 再審公判が結審

1980年に死刑判決が確定した袴田巖さんの裁判をやり直す再審は、5月22日の公判で検察側が死刑を求刑した一方、弁護側が無罪を主張し結審しました。この日の審理では姉・ひで子さんの最終意見陳述も行われ、ひで子さんは「弟・巖をどうか人間らしく過ごさせてくださいますようお願い申し上げます」と述べています。

1966年に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺害され、現金などが奪われた上に放火された事件をめぐっては、袴田巖さんに死刑判決が言い渡されましたが、東京高裁は2023年3月、裁判のやり直しを認める決定を出しています。

5月22日に行われた再審公判では検察側が巖さんに対して再び死刑を求刑した一方、弁護側が改めて無罪を主張。

そして、巖さんの姉・ひで子さんが最終意見陳述のため法廷に立つと、巖さんが獄中から送った手紙を読み上げた上で次のように述べました。

袴田ひで子さん:

弟の巖は47年2カ月投獄されていました。「つらい」「悲しい」を一切口にすることはありませんでした。釈放から10年経つが後遺症というか、まだその世界にいるんです。

特に男性に対する警戒心が強く、男性の訪問には動揺します。

家のカギも知らないうちにしめます。電気は点けたままではないと寝られません。心は癒えていません。

私も眠れない時がありました。弟・巖のことを思い出してお酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。

今回、意見陳述の機会をお与えくださいましてありがとうございました。

裁判所には大変お世話になりました。

58年闘い続けてまいりました。

私は91歳、弟・巖は88歳、余命幾ばくかの人生ですが、弟・巖をどうか人間らしく過ごさせてくださいますようお願い申し上げます。

再審公判の判決は9月26日に言い渡される予定です。